今から36年前の昭和47年(1972年)の11月4日から6日まで、学校の文化祭の代休を利用して宮崎まで蒸気機関車を見に行きました。
当時宮崎にはC56が2両、C57が12両、そして前年にはるばる青森から転属してきたC61が4両配置され、さらに南延岡のD51や吉松のC55、C57、志布志のC11などが遠征して来ていました。いわば蒸気機関車天国でした。
夜、宮崎駅へ行くと丁度ホームの脇にC5765が待機していました。ホームの明かりで夜間撮影。
翌朝はDF50牽引の早朝の鈍行で、宮崎の南の山間の駅、青井岳に降り立ちました。朝日の中を豪快に宮崎へ向かう通勤列車を牽いてC57112が発車して行きました。
日中は宮崎方へ少し戻って田野へ。日本的風景の中を走るC57187。周囲では名物の沢庵用の大根干しが見られました。
翌日は当時4両になっていた貴重なC61を狙って宮崎の北、高鍋へ。当時の国鉄は、廃止の決まっている蒸気機関車で検査期限の残っているものを有効活用するために、全国規模で配置転換していました。前年まで奥羽本線で使われていたC61も昭和46年の奥羽本線の電化で追われて雪国青森から南国宮崎へ転属して来ました。
高鍋駅へ進入間近、小丸川鉄橋を渡るC6128。
ほんの数日でしたが、宮崎周辺では蒸気機関車を十分に堪能しました。今となっては貴重な経験となりました。
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