12月29日火曜日。朝は曇り空でしたが、次第に天候は回復しました。
診療は昨日で終了しましたが、今日はレセプト作業のため事務スタッフは出勤。カルテや書類の整理など、診療のある時にはなかなか時間の取れない仕事もたくさん。
さて、今から30年前の1979年(昭和54年)の年末は、近場の旧型国電を見に出かけました。(国鉄の分割民営化が20年以上前の1987年3月のことですので今では“国電”も死語でしょうか?。若い方には通じないかも!?)
当時の南武線や鶴見線には、戦前の古めかしい電車が残っていましたが、さすがに全国的に珍しい存在になっていました。南武線の尻手から浜川崎までの4kmあまりを結ぶ通称「南武支線」に残っていたのはクモハ11やクハ16といった昭和ヒトケタ生まれの電車。下の写真は浜川崎駅に停車中のクモハ11とクハ16の2両編成です。先頭がクモハ11。両形式とも全国で唯一南武線の中原電車区に残るのみになっていました。
こちらは尻手駅でのクハ16。行先表示は看板を差し込む一昔前には一般的だった方式。リベット打ちのゴツゴツした車体は何とも味があります。
内装はニス塗り。真ん中に柱。ワックスと油とブレーキの鉄粉の香り。網棚は現在のような金属ではなくて本当の網です。「吊り掛け駆動方式」の旧型電車特有の唸りと振動は、今では大宮の鉄道博物館以外では体験出来ないかも。昭和56年までには全車廃車になってしまいました。
浜川崎から鶴見線に乗り換えると、鶴見に向かって1つ目の武蔵白石から大川支線が出ていました。ここにも戦前の旧型国電クモハ12が残っていました。こちらは1両で隣駅までの往復運転。大川支線のクモハ12は適当な置き換え車両が無かったこともあってJR発足後も生き残り、なんと1996年(平成8年)3月まで残っていました。
さらに鶴見線で終点の鶴見まで来ると、職員輸送用に残っていたクモハ12が構内のはずれに佇んでいました。こちらも昭和5年製!。
今から思えば貴重な戦前製の電車たちが身近に結構残っていました。もっとたくさん記録を残しておけば良かったと悔やまれます~。
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