12月14日月曜日。晴れ。寒い日になりました。
クリニックは午前中は比較的平穏でしたが、午後からは結構混雑。心不全で入院が必要になった方の手配などで夕方はやや時間が押し気味になりました。この週末で風邪をひいた方も多い様です。また嘔吐と下痢と発熱の感染性胃腸炎の方もちらほら。やはり気温差が良くないのでしょう。インフルエンザの方は少なめで、流行は収束が近い印象。
さて今日12月14日は、1702年(元禄15年)に赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りをして主君の仇討ちを成し遂げた日でもありますが、昨年の本ブログでも紹介しました様に1975年(昭和50年)には 国鉄室蘭本線の岩見沢~室蘭で国鉄最後の蒸気機関車牽引による旅客列車が走った日でもあります。
下の写真は昭和48年3月の岩見沢駅。函館本線と室蘭本線の分岐駅です。函館本線は電化されていて、交流電気機関車ED76型500番台に牽かれた旧型客車の長大列車が停車中。今では機関車も客車も長大列車も無くなってしまいました~。
室蘭本線の主な役割は旅客輸送よりも貨物輸送。そんな中を貨物列車の合間にC57型蒸気機関車が短い編成の普通列車を牽いていました。下の写真は室蘭本線の栗沢~栗丘間を走るC57牽引の旅客列車(昭和48年3月)。
最後の旅客用蒸気機関車は岩見沢第一機関区に残った5両のC57でした。下は岩見沢第一機関区で休むC57(昭和48年3月)。
昭和50年3月末時点では岩見沢第一機関区には9600型8両、C57型5両、D51型25両の計38両が在籍し、とても1年以内に全廃される雰囲気ではありませんでした。
下は貨物用機関車のD51型。後ろに見える機関庫は煉瓦造り(昭和50年3月)。
中にはD51が待機中(昭和48年3月)。
9600型は大正期を代表する貨物機(昭和50年3月)。鉄の塊のような武骨な感じが魅力。
構内の入れ替え用に黄色い警戒色に塗られたいわゆる「トラ塗り」の9600型。
9600型の製造初年は何と大正2年。下の写真は9600型の49698号機の後ろ姿です(昭和48年3月)。連結器の両側の穴はバッファー(ねじ式連結器で推進力の伝達を介するために車端に配置された緩衝器)の取り付け跡でしょうか。鉄道院がそれまで使われていたねじ式連結器から全国一斉に一日で全車両を自動連結器に交換したのが大正14年7月ですから、それ以前から使われていた証拠?。
昭和50年12月14日の最後の旅客列車に続き、貨物列車も同年12月25日に終焉を向かえることになり、翌年昭和51年3月に追分機関区で入れ換え用の9600型が廃止されて国鉄から現役蒸気機関車は全て姿を消しました~。
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