2月12日金曜日。雨のち曇り。雪にこそなりませんでしたが、寒い一日でした。ク リニックは朝から混雑気味。今日もインフルエンザの方が数人いらっしゃいました。ご主人、奥さん 、娘さんと、今週になってから次々と来院されたご家族も。また流行再燃でしょうか。
さて、今からちょうど30年前の今頃、大学は入学試験実施のために休講。この休みを利用して、山陰へ鉄道旅行に出かけました。「鳥取砂丘が見たい」と言う友人と3人で1980年2月5日、東京駅20時40分発の寝台特急「出雲3号」に勇躍乗り込みました。当時はまだ夜行列車がたくさん走っていて、東京駅は夕刻から寝台列車が続々と東海道を下って行きました。山陰方面への寝台特急「出雲」も当時は2往復ありました。
翌朝2月6日の8時55分に雪の鳥取駅に到着。まずは最初の目的地の鳥取砂丘へバスで向かいましたが、到着してみれば砂丘の砂など全く見えず、広大な雪野原が広がるばかり。おまけに猛吹雪~。愕然としましたが、良く考えてみればあたり前。2月の日本海側なんですから。下の写真の左側が砂丘のはずですが・・・。
日本海は荒れていて不安定な天気。薄日が射したり吹雪いたり。当時はちょうど20歳~。
鳥取砂丘をそそくさとあとにして「まつかぜ1号」で松江へ移動。「まつかぜ1号」は京都発で福知山線、山陰本線経由の博多行き。全区間だと13時間半かかる長距離特急。今は全廃されてしまったキハ82系ディーゼルです。
鳥取から松江まで1時間47分。松江城などを見て松江泊。真冬のこの時期、他に観光客は誰もいない・・・。
翌日2月7日は一畑電鉄というローカル私鉄に乗って出雲大社へ。松江から出雲大社まで約1時間。宍道湖の北岸を走ります。
出雲大社では一時的に晴れ間が。長さ8m、重さ1500kgの大注連縄が立派。出雲大社だけ他の神社と逆の掛け方になっているそうです。
参拝後、再度一畑電鉄に乗って国鉄の出雲市駅まで。出雲市駅構内にはレンガ造りの古い機関庫が残っていました。
出雲駅構内ではキハ181系の特急「やくも」が入線。出雲市から伯備線経由で岡山まで結んでいました。
DD51型ディーゼル機関車牽引の貨物列車の編成も今は見られない編成。
出雲市からは、昨日も乗った「まつかぜ1号」に乗って3時間14分、東萩で下車して駅前のビジネスホテルに宿泊。
その後2月8日は萩市内では高杉晋作、木戸孝允、吉田松陰ら幕末の長州藩士の旧家や松下村塾などを訪ねてから、バスで秋芳洞へ向かい、やはりほとんど宿泊者のいない国民宿舎に宿泊。2月9日に小郡(現新山口)から新幹線で帰宅の途に付きました。終始寒い真冬の鉄道旅行でした。
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