3月27日土曜日。晴れのち曇り。今日も寒い一日になりました。
クリニックは朝方は平穏でしたが昼前から混雑。今日は何故だか新患の方が続いたため、時間がかかってしまいました。でも午後は比較的平穏。
夜は紹介状書きや事務仕事。事務スタッフは4月の診療報酬改訂に向けてのレセプトコンピュータのセッティングです。
さて今週は通勤中の電車内で「ペニシリンはクシャミが生んだ大発見 医学おもしろ物語25話」(百島祐貴著、平凡社新書、2010年2月15日発行)を読みました。著者は慶応の放射線診断科の医師。でももちろんこれは医学書ではありません。
今では当たり前になっている医療技術も、多くの人々の努力や発見の積み重ねによって成り立っています。本書では第1部の診断編では体温、脈拍、血圧からCT、MRIまで、第2部の治療編では輸血、ワクチン、抗生物質から心臓ペースメーカー、人工心肺まで、計25のエピソードを取り上げ、肩の凝らない読み物に仕上げています。本書の帯にあるように、医学の進歩の陰にはドラマが満載です。結構面白いです~。
3月26日金曜日。曇りのち晴れ。雨が上がって次第に天気は回復。
今日のクリニックは朝一番の予約外の方が大勢。ここ数日の寒さで風邪をひかれた方が多かったようです。午後もそれなりに患者さんが多めでした。
写真は路端で見つけたマメ科(?)の花。
こちらはタンポポ。
夜は19時30分から大和市医療センターで行われた4月からの保険改訂の講習会に事務スタッフとともに出席。大和市内の多くの医療機関が参加するため会場は満杯。2年に1度保険改訂がありますが、概要が発表されるのがいつでも直前。4月からの事なのに準備期間が無くて末端の医療機関は毎度バタバタさせられます~。
3月25日木曜日。今日も10℃に届かず冷たい雨の一日になりました。
咲きかけた自宅前の桜も寒そう。今日の寒さで開花は足踏み状態でしょうか。
今日は休診日でしたが、朝からクリニックにこもって事務仕事。天気の悪い日は仕事に限ります!?。
でも夜は久しぶりに東京ミッドタウンにあるビルボードライブ東京へ。 平日の夜のミッドタウンは空いています。
ビルボードライブのステージの後ろは東京の夜景。
今日のステージはKool & The Gang。1970年代~80年代にヒットを飛ばして活躍した往年のR&Bグループ。
さすがにオリジナルメンバーだけの構成ではないでしょうが、それにしてもCDの写真と同じグループとは思えない容姿に変身(?)していました。でも“音”は往年と一緒。聴衆の平均年齢は高めでしたが、若い人もちらほら。
明日からは次第に天気は回復するそうです。週末はお花見日和になるでしょうか。
3月24日水曜日。昨夜から引き続きの雨降り。自宅近くでは桜がほころび始めましたが、真冬の様な冷たい雨になってしまいました。
クリニックは風邪の方が多めで終日混雑気味。長引く咳の方も多い様です。最近は予約の方はほぼ予約時間を遵守出来ていますが、ゆったり時間を取れなくて申し訳ありません。
夜は例によって歯医者さんへ。帰宅時もまだまだ結構な降り~。
ところで、先週末「国鉄時代」という表題の季刊誌の2010年春号が発行されました。国鉄が解体されてJRになったのが昭和62年のことですから、既に「国鉄」は死語に近いかもしれません。それでもその時代を懐かしむ奇特な人が結構いるようで既に21号。何を隠そう私も創刊号から欠かさず購入しています。
今回は昭和50年の特集。昭和50年は現役の蒸気機関車による最後の旅客列車(表紙の写真)、貨物列車が走った年。蒸気機関車を追いかけていた人にとっては特別な年なのです。
巻頭には石北本線の1527列車。札幌からの夜行急行「大雪5号」は寝台車もグリーン車も繋いだ立派な急行編成でしたが、急行として走るのは北見まで。その先は各駅停車の1527列車として終点網走まで急行編成のままで、しかも蒸気機関車牽引で走っていたのでした。
昭和50年3月のちょうど今頃の時期、高校入試が終わったばかりの私は北海道行きを敢行。3月23日の上野発の夜行列車で24日の朝に青森着。青函連絡船で北海道に入り、室蘭本線沿線で数日過ごしたのち、3月28日の夜、札幌22時15分発の大雪5号の3号車B寝台の10番の上段に乗り込みました。この車両はもはや他では見られない貴重なA寝台とB寝台の合造車オロハネ10の505番。既に車体はだいぶ痛んでいました。
石北峠や常紋峠などの難所を越えて北見には5時42分着。到着後はタクシー分乗で先回り。端野~緋牛内間でカメラを構えていると、先ほどまで乗車していた大雪5号が1527列車となってやってきます。
先頭はC58418号機、客車は荷物車2両に寝台車3両、グリーン車1両・・・と続く立派な急行編成。重厚なドラフトとともに目の前を通過して行きました。
暫くするとC58119に牽かれたローカル客車の522列車が通過。川は常呂川。
さらにC58139に牽かれた貨物列車575列車が通過。
下の写真はC58139のシルエットです。C58はスマートではありませんが、日本的な機関車で結構好きです。今でも秩父鉄道で週末に走る姿を見ることが出来ます。
早いもので、あれから35年(!)も経ってしまいました・・・。
3月23日火曜日。曇り。
連休明けのクリニックは、連休中に風邪をひいた方が多くて終日混雑気味でした。今日は久しぶりに海外から帰国された方でA型インフルエンザ陽性の方がいらっしゃいました。まだ気を抜けませんね~。昼は自転車で南林間まで在宅患者さんの往診。
近所ではユキヤナギが満開になっています。写真は昨日の様子。
枝には小さな白い花が無数に付いています。
ユキヤナギはバラ科の植物で日本原産だそうです。ユキヤナギが咲くと桜はもうすぐ。
夜は臨時の医師会理事会でした。4月からの大和市の事業の中に、特定の病院に利益誘導する可能性があるものがあり、大和市と協議。終了は9時頃になりました。帰り道は本格的な雨。
明日は冷たい雨の一日になりそう。
3月21日日曜日。春分の日。雨のち晴れ。昨夜から恐ろしい程の強風が続き、JRの運転見合わせや羽田空港では欠航も相次いだ様です。昼前には次第に晴れ間が出て来ました。
今日は朝から休日夜間急患診療所の当番で出勤。休日の日中は、内科と小児科の医師2人体制です。
午前中はそこそこの混雑でしたが、午後からは小児科の患者さんが殆どで内科はあまり出番無し。内科は感染性胃腸炎や発熱の方が多めでした。夕方5時にはほぼ時間通りに終了。最終的には今日の受診者は77人。インフルエンザ流行時の混雑ぶりを思えば今日は極めて平穏~。
今日は春分の日、だいぶ陽が長くなって夕方5時過ぎはまだまだ明るい~。帰りの道すがら、遠くに大山と富士山のてっぺんが見えました。
夕食後、歩きに出ると寒い~。急激に気温が下がって来ました。街灯に照らされて白い花が満開。桜ではないでしょうが、梅にしては遅いし、一体何の花でしょう?。
3月20日土曜日。晴れ。世の中は3連休の初日。日中から風はやや強めでしたが気温は高く なってポカポカ陽気。クリニックは午前も午後も平穏でほぼ予約時間通りに進行。風邪の方も少なめでした。
今週は電車内で「若き友人たちへ」(筑紫哲也著、2009年10月11日発行、集英社新書)を読みました。
著者は朝日新聞社のジャーナリストを経てニュースキャスターとしてお馴染みだった方。惜しくも2008年に他界されましたが、本書は2編の連載原稿と早稲田大学と立命館大学での講義テープから起こした原稿から構成されています。
憲法、日本人、メディア、国家、教育、そして日本の将来など、多岐に亘る難しいテーマを分かりやすく解説しています。題名は「若き友人たちへ」ですが、“若くない人たち”にもお勧めです。
一方、写真の左は同じ著者による「旅のあとらんだむ」(筑紫哲也著、1984年5月20日発行、文化出版局)。アメリカ特派員時代を中心に世界各国の旅のエピソードなどを気軽に読めるエッセイにまとめたもの。学生時代に読んだ本ですが大いに旅心を刺激されました(残念ながら今は絶版のようです)。両著書の間には25年以上の隔たりがあり、テーマも文体も異なりますが、その視点や感性は当然ながら共通。唸らせるものがあります~。
夜になって風が強まり、暴風・波浪警報が発令されました。明日は休日夜間急患診療所の当番で朝から出勤です。
皆様、良い休日を~。
3月19日金曜日。晴れ時々曇り。昨夜の雨は上がり天気は回復。
クリニックは午前中は平穏でしたが、午後からは混雑気味。風邪や花粉症の方が多めでしたが、連休に備えての受診の方が多かったようです。
先日、近所でモズ(百舌鳥)を見かけました。名前は良く知られている鳥の割にはあまり見かけません。
結構鳴き声が大きいので、気が付きました。
スズメよりもひと回り大型の鳥で、昆虫やミミズはもとより、カエルやへビといった両生・爬虫類、鳥類、モグラやネズミなどの小哺乳類も食べるそうです。
夜は小田急センチュリー相模大野へ。今日は桜ヶ丘中央病院の先生方との病診連携の会に出席。顔の見える連携体制を構築しておくことはとっても重要~。
明日から3連休の方も多い様で羨ましいです~。
3月18日木曜日。晴れましたが風は冷たい一日でした。
今日は休診日でしたが、朝からクリニックで事務仕事。年度末で退職や転居など移動の多い季節。紹介状を書かなければならない方が多数。昼からは聖マリアンナ医大横浜市西部病院の循環器外来へ。外来が始まるまでの僅かな時間に近くの追分市民の森へ。病院の外来駐車場の脇から森に入ると別世界~。
森を抜けると、菜の花畑に出ます。外来前の気分転換に良いので、時々訪れています。このブログにも何度か登場しています。
菜の花畑は満開直前の感じですが、既に十分見頃です。
今年初めてモンシロチョウが飛んでいるのを見かけましたが、写真は撮れず。
夕方、外来終了後、一旦クリニックに戻ってひと仕事をしてから、再び西部病院へ。夜7時からの西部病院呼吸器内科の病診連携の会合に出席するためです。気管支喘息や慢性閉塞性肺疾患(COPD)は、安定していれば診療所でフォロー出来ますが、重症化した際には呼吸器内科の専門医がいて入院施設のある病院との連携が重要です。スムーズな連携が出来るようになれば患者さんにとっても安心です。地域連携パスを活用した病診連携が動き始めています。
3月17日水曜日。曇りのち晴れ。今日は昨日とは一転して最高気温12℃と寒い一日でした。
クリニックは夕方になってやや混雑したものの、午前、午後とも比較的平穏でした。今年は、インフルエンザの流行が過ぎ去ってからは例年よりも風邪の方も少なめで、落ち着いた日々が続いています。
先週は蕾だった大和市立病院前のベニスモモの花が、今日は満開になっていました。
下の写真は大和市役所前の歩道の植木。こちらはオカメザクラでしょうか。こちらも満開。開花予測ではいよいよ来週にはソメイヨシノが咲き始めるようです。「花の季節」到来~。
診療終了後は歯科へ。どうもこの時期になると何故か歯の具合が悪くなってしまいます。花粉症も本格化して個人的には「花の季節」ならぬ「鼻の季節」。トホホ~。
3月16日火曜日。昨夜の雨は上がり、晴れて暖かくなりました。昼ごろは最高気温がなんと24℃!。
クリニックは午前も午後も比較的平穏。昼は近所の在宅患者さんの往診に出ましたが気味が悪いほどの暖かさで、汗ばむくらい。
近所では「こぶし」(辛夷)が満開になりました。
白色の花が無数に。天気が良いと白がくっきり見えます。
はくもくれん(白木蓮)との違いが良く判りませんでしたが、ネット上で調べてみると、開花はこぶしのほうが1週間ほど早い、花びらはこぶしよりもはくもくれんのほうが大きくて厚みがある、こぶしの色は純白ではくもくれんはクリーム色がかっている、咲き方はこぶしは全開するのに対しはくもくれんは上向きに閉じた形で咲く、こぶしの花の下には小さい葉が1枚ついている、などの見分け方があるようです。そうするとやはりこれはこぶしで良さそう。
夜は大和認知症講演会の世話人会に出席。認知症は世の中の高齢化に伴って増加し、精神科の専門家だけでは対応しきれないのが現状。専門家と連携しながらかかりつけ医で対応する必要があります。今後も年2回程度の講演会を開催する予定。
今日は夜になっても暖かいですが、明日の予報では最高気温は12℃!。体調管理が大変です~。
3月14日日曜日。今日は久しぶりに晴れた日曜日。気温も高めで穏やかな休日となりました。
朝は近所をサイクリング。桜の蕾もだいぶ大きくなりました。
天気が良いので、川の水草の緑も鮮やかに見えます。
菜の花も今が盛り。
昼は近所の蕎麦屋さんで山菜そば。昼食後は散髪。
その後、表参道まで出かけました。今日はセント・パトリックス・デイ・パレードが開催されていました。表参道から神宮前にかけての井の頭通りは通行止め。
アイルランドのシンボルカラー、グリーンを身につけた約1,000名がパレード。下はバグパイプを奏でながらの行進。
アイリッシュセッターもパレードに参加。
3月17日はアイルランドにキリスト教を広めた聖人聖パトリックの命日にあたり、それに因んだお祭りだそうです。
世界中に住んでいるアイルランド人がこのお祭りを祝い、特にアメリカのニューヨークでは、数百万人もの参加者を数える一大パレードが行われるそうです。
日本でも全国各地でパレードが行われ、20日の土曜日には横浜元町でもパレードがあるそうです。
それにしても日本にもアイルランドに縁のある人達って結構居るのですね~。その結束力もすごいものです。
3月13日土曜日。晴れて暖かくなりました。昼過ぎには気温が20℃位まで上がったようですが、日中はクリニックから一歩も外へ出ていないので、暖かさの実感無し~。
今日のクリニックは午前、午後とも比較的平穏。特に午後2時から3時頃は予約外の方が少なくて、手持ち無沙汰なくらいでしたが、夕方になってやや混雑。今日も風邪や感染性胃腸炎、花粉症の方が多めでした。
近所では最近ヒヨドリが賑やか。ヒヨドリは本州以南では留鳥なので、年中見かけます。
夏は昆虫、冬は果実や種子などを食べ、サクラやウメ、ツバキの花期には嘴を差し込んで蜜をなめるなど雑食性。サクラの花を大量に落として嫌われることもあるようです。
明日は久しぶりに晴れの日曜日になりそうです。
3月12日金曜日。晴れ。朝は気温が低めでしが、日中は暖かくなりました。
午前中のクリニックは比較的平穏でしたが、午後からは混雑気味。気温の乱高下で風邪をひいた方が多い様です。
夜は、7時30分から大和市地域医療センターで開催された「平成22年度施設がん検診事前説明会」に当院スタッフと一緒に出席。今年もがん検診が4月1日から11月30日まで各医療機関で実施されます。当院では肺がん検診と大腸がん検診を実施します。
ちなみに平成21年度は肺がん検診4948名の受診に対し肺がん1名、大腸がん検診5854名の受診に対し大腸がん14名が発見されたそうです。多いような少ないような・・・。でも受診者数は絶対的に少ないですね。受診率を上げなければいけません。がん検診受診カードは3月23日に発送されるそうです。皆さんお早めに。
説明会の終了は8時30分頃。夜はやっぱり寒い~。
帰宅後夕食を食べながらニュースステーションを見ていると、金沢駅からの生中継。急行「能登」と寝台特急「北陸」の最終列車の出発の模様が放送されていました。明日3月13日は、JRグループのダイヤ改正の日。以前にも紹介しました「能登」と「北陸」は今夜がラストランになります。
このうち急行「能登」は、定期列車として最後に残ったボンネット型の特急型車両。東海道線に昭和33年から走り始めた特急「こだま」の流れを受け継ぐ流麗な外観です。
下の写真は、今年の正月に撮った始発の金沢駅に入線する急行「能登」の姿(2010年1月3日撮影)。
金沢駅で並んだ急行「能登」と寝台特急「北陸」。今改正で2列車同時に廃止になります。
以前は、電車特急といえばボンネット型が主役でした。以下に撮りだめたボンネット型の写真を集めてみました。
下の写真は上越新幹線開通前に上野と新潟を結んでいた特急「とき」。本列車に使われていた181系は151系特急「こだま」の流れを汲んだ正統派でした(1973.8上野駅)。
こちらは軽井沢行きの臨時特急「そよかぜ」(1973.8上野駅)。
交流電化区間にもボンネット型が踏襲されて、交流でも直流でも走れる483~489系が登場。下の写真は上野と会津若松を結ぶ特急「あいづ」。上野から黒磯までは直流、黒磯以北は交流に切り替えて走行(1975.11東北本線黒磯~高久間)。
名古屋と富山を結ぶ特急「しらさぎ」。北陸本線も交流です(2001.8北陸本線小松駅)。
直流区間のみの上野と長野を結ぶ特急「あさま」にも交直両用の489系が間合いで使用されていました(1976.4信越本線横川~軽井沢間)。
信越本線経由で上野と金沢を結んでいた特急「白山」は常に混雑している人気列車でした(1976.4信越本線横川~軽井沢間)。
九州では“ヒゲ”の無い顔。写真は門司港~西鹿児島(現在の鹿児島中央)を結んでいた特急「有明」(1979.3西鹿児島駅)。
博多と佐世保を結んでいた特急「みどり」。山陽新幹線博多開業までは新大阪と大分を10時間近くかけて走っていました(1979.3博多駅)。
九州ではJRになってから真っ赤な塗色で活躍(1992.6小倉)。オリジナルの特急色でないとチョッと風格が無い感じ。
こんなに全国で活躍していたボンネット型でしたが、新幹線の開業や老朽化によって次々と引退。定期列車で最後に残った急行「能登」も、今晩3月12日発、明朝3月13日着の列車で最後。金沢駅では1500人もの見送りの人々が集まった様ですが、大きな混乱は無かったようでした。また「昭和」の香りが消えていきます。
3月11日木曜日。晴れ。最高気温は13℃ほどでしたが、風が無いので暖かく感じられました。
今日は木曜日ですが臨時の診療日。朝の通勤時、小田急江ノ島線は高座渋谷と桜ヶ丘間の踏切で乗用車が脱輪して立ち往生したために一時不通に!。やっと動いた電車は恐ろしいほどのすし詰め状態。ヘロヘロでいつもよりだいぶ遅くなってクリニックに到着~。
今日は臨時の診療日とあって、朝も昼も診療開始時の予約外の方はゼロ。予約の方ばかりなので診療はゆったり~。でも久しぶりにA型インフルエンザの方がいらっしゃいました。
下の写真は大和市立病院近くの「べにすもも」。まだわずかに蕾がほころんだ程度。見頃は来週あたりでしょうか。
私の目の痒さからすると、今日は花粉がかなり飛んでいた様子。環境省の「はなこさん」を見てみると相模原病院のデータでは昼過ぎには400個/㎥以上!。明日も天気が良さそうですが、花粉の飛散が増えそうで、天気が良いのも恨めしい気分・・・。
3月10日水曜日。朝の出勤時は雨が残っていましたが、日中は天気が回復して晴れ間ものぞきました。
今日のクリニックは終日平穏。風邪と感染性胃腸炎、花粉症の方は相変わらず多めでした。昼は在宅患者さんの往診で南林間まで。晴れていたので薄着で出たら、期待していた程は気温は高くなくて結構風は冷たい~。
写真は近所で咲いていた沈丁花の花。沈丁花は中国南部原産で、日本では室町時代頃にはすでに栽培されていたそうです。
ところで本日早朝、鎌倉の鶴岡八幡宮の大イチョウが雪の重みと風のために倒れてしまいました。現時点の情報では回復不可能だそうです。
1219年の鎌倉幕府3代将軍源実朝の暗殺を目撃したかも知れない歴史的にも貴重な木。樹齢1000年以上だそうですが、木の寿命は人に比べると途方もなく長いですね~。でも1000年の寿命を貰っても同じ場所にずっと立ってろと言われたらかなり辛いかも~!?。
明日の木曜日は昨日の替わりで臨時で終日診療。臨時の診療日なので、まだ予約枠にもゆとりがあります。狙い目ですよ~。
3月9日火曜日。雨のち雪。寒さの厳しい一日でした。
今日は開業して以来初めての丸一日の臨時休診。皆さまにはご迷惑をおかけしました。以前にも申しました様に、大和市内の中学校は今日一斉に卒業式のようで、当院でもたまたま複数のスタッフのお子さんが卒業式。診療体制が維持出来なくなってしまいました。その分は本来休診日の木曜日に診療致しますので、御容赦下さいませ~。
さて朝は、傘をさして歩きに出ましたが、あまりの寒さに早々に帰宅。雨に濡れて花壇の花も寒そう。
昼は暖かいものが食べたくなって、東急田園都市線の用賀にある中国家庭料理の田燕居へ。ここは医局の先輩に教えて頂いたお店。今日は昼時でも平日のためか空いていました。ジャズが流れています。
窓辺には味のある中国の人形が飾られています。
ランチメニューは大体1000円前後。今日は海鮮豆腐のランチ。熱々です~。
その後は食料品の買出しをして帰宅。
夕方からはみぞれ模様になっていましたが、夕食後の運動に出ると、いつの間にかみぞれは雪に変わり、つもり始めていました。
明日は日中は気温がだいぶ上がるようですが、このままでは朝は雪が残りそうな雰囲気~。
3月8日月曜日。曇り時々晴れ。昨日の雨は上がりましたが、寒い一日になりました。
クリニックはこの週末で風邪をひいた方が多くて、そこそこの混雑。相変わらず花粉症の方も多め。3月になってから入学や就職のための診断書を希望される方も増えて来ました。年度末が近づいて何となく慌ただしい感じ~。
先日、近所の書店で発刊されたばかりの「旅に出たくなる地図」(平成22年2月25日発行、帝国書院)を見つけました。「日本」編と「世界」編があります。
A4判で240ページ余り。内容は世界地図に名所、旧跡が記され、簡単な解説が加えられています。
一見、小中学生の時に使った社会の地図帳のよう。実用性はあまり無さそうですが、寝る前などにボーッと眺めながら思いを巡らすには最適。
明日は臨時の休診日ですが、今日より寒くなるようで・・・。
3月7日日曜日。京都は朝から雨。
昨日は診療終了後に第74回日本循環器学会・学術集会に参加するために新幹線で京都入り。
1997年に竣工した京都駅ビルは地上16階地下3階で、巨大な空間で構成されています。
駅正面には昔からの京都タワー。京都駅ビルが前にそびえるため、以前よりも小さくなったような印象。駅前は遅い時間でも賑やかです。
ホテルに一旦チェックインしてから、夜10時過ぎに大学の医局の先輩と合流。ホテルに戻ったのは深夜1時頃~。
明けて日曜日。雨が降って寒い朝。学会の会場は宝ヶ池近くの国立京都国際会館とグランドプリンスホテル京都です。
日本循環器学会は会員数24000人余り、循環器専門医も10,000人を越す大所帯。3日間の会期中に2340題の演題が発表されますが、半数が英語の発表。参加費は会員15000円(!)、海外からの参加者や留学生は5000円、研修医や学生は無料。
私も持っている循環器専門医の資格は5年毎に更新しなければなりませんが、更新には一定の研修単位が必要なので、全国から循環器専門医が京都に集結しています。近年は規模が大きくなり過ぎて大都市でなければ開催出来ない状態。京都でも市内のホテルは満室状態。
夕方の新幹線で帰途につきましたが、会場を出る頃は本格的な雨。
今週は火曜日が臨時休診。その替わりに木曜日は診療致します。ご迷惑をお掛けしますが、ご了承下さいませ~。
3月6日土曜日。昨日とは一転、雨の朝でしたが気温は高め。
午前中のクリニックはやや混雑気味でしたが、ほぼ予約時間通りに進行。土曜日は平日には来れないお勤めの方が多いので、平日よりも平均年齢はやや低め。でも逆に若い方の付き添い無しでは来れないご高齢の方もいらっしゃるので、診療にかかる時間は均一にはなりません。午後は発作性上室性頻拍という頻脈発作の患者さんが初診で来院され、注射薬で停めている間診療が一時ストップして少々混雑。でも最終的には大きな時間超過にならずに終了~。
昨日から、京都で第74回日本循環器学会総会・学術集会が開催されています。全国から循環器専門医が京都に集結しますので、この時期は主要病院の循環器科は恐らく留守番を残すのみの状態。皆さん、くれぐれもこの時期に循環器系の大病にかからないように~。
写真の左が抄録集。日本の学会なのに中身は全て英語。厚いし重いしとても持って歩けないので、持ち歩き用のプログラム集が写真の右。これでも小型の辞書くらいなので十分重いです。これから右の持ち歩き用を持って新横浜経由で新幹線で京都に向かいます。今日は京都駅近くで宿泊の予定です。
3月4日木曜日。曇りのち雨。今日も寒い一日になりました。
今日は休診日ですが、朝からクリニックで事務仕事。天気がスッキリしないと何となく仕事の効率が上がらないような・・・。思ったより仕事をこなせないまま時間切れ。午後からは聖マリアンナ医大横浜市西部病院の循環器内科外来へ。今日は予約数は少なめで早々に終了。
先日、旧い写真を整理していて昔の留学時代の写真が出て来たので、何の脈絡もありませんが、アメリカのメリーランド州ボルチモア(Baltimore)の紹介をします。時期は1993年から1994年にかけてですから、もう16~17年前の写真です。
下の写真は留学先のジョンズホプキンス大学から見たボルチモアの中心部。人口は当時70万人程でしたので、相模原市と同じくらい。大和市の3倍くらいでしょうか。
ボルチモアはワシントンD.C.の北、アメリカ東海岸にある歴史ある街。古くから天然の良港として知られ、1729年に南部産タバコの輸出港として開かれ発展したそうです。南北戦争の舞台にもなり、アメリカ国歌や星条旗もボルチモア生まれ!。アメリカ映画にもよく登場します。
下の写真は再開発地区のインナーハーバー。ここには大型ショッピングセンターや全米屈指のボルチモア国立水族館、海洋博物館などがあり、小奇麗で休日は賑やかなところ。
下の写真の三角屋根がボルチモア国立水族館で、大阪の海遊館の姉妹館。ボルチモアオリオールズの拠点の球場も近く。
またボルチモアはアメリカの鉄道発祥の地。1830年に全米で初めてボルチモア・オハイオ鉄道(B&O)が開通しています(この辺の話は長くなりそうなので別の機会に)。その後ボルチモアはペンシルベニア炭田の開発により工業都市として、また貿易港として発展し、1950年代のピークには人口100万人に迫る勢いだったそうです。
しかし、1960年代から施設の老朽化と主産業の構造不況によって、ダウンタウンから人口が流出し、スラム街が発展、治安の悪化が進んで、全米でも有数の治安の悪い街になってしまいました。現在でも人口は減っていて、中心地の空洞化は依然として深刻なようです。
創立100年を超えるジョンズホプキンス大学が建てられた当時は瀟洒な街の中心だったのでしょう。
しかし、かつての街の中心部はスラム化したため、大学がその中に取り残されたような形に。従って大学の周辺の治安はあまり良いとは言えません。
大学の駐車場から北側を眺めると美しいとはとても言えない街並み。
大学の北側のエリアは危険地帯。足を踏み入れないまま帰国してしまいました。今となっては少し残念~!?。
街の中心部の住人は黒人が大半。周辺部に行くにつれて白人が多くなります。当時住んでいたアパートは治安の比較的良い周辺部でしたので、大学までは車で30分程かけて通っていました。今回はこの辺にして続きはまた・・・。
3月3日水曜日。晴れたものの風が冷たい一日。
クリニックは午前中はほどほどの混雑でしたが、午後は大混雑~。久しぶりに予約外の方にはだいぶお待ち頂くことになってしまいました。申し訳ありません~。風邪の方が増え、感染性胃腸炎の方も多数。寒暖の差が大きいからでしょうか。今週はまだ気温のアップダウンが続くようで要注意です。
夜は小田急センチュリー相模大野で開催された県央糖尿病勉強会に出席。
相模大野の駅改札前には一足早く桜の花のディスプレイが。
根元の装飾も凝ってます。
残念ながら糖尿病の方の平均寿命は、一般の方より約10年短いのが現状。もちろん以前に比べれば、平均寿命が伸びた分だけ糖尿病の方の寿命も伸びましたが、一般の方との差は縮まっていません。特に男性より女性でその差が大きくなっています。昨年から今年にかけては糖尿病の新薬が続々と登場。治療戦略が大きく変わって行きそうですが、果たして寿命差を縮めることは出来るのでしょうか。
3月2日火曜日。曇り中心の寒い日になりました。
クリニックは、予約外の患者さんは少なめで平穏な一日でした。のど風邪の方が数名。昼は近くの在宅患者さんのところへ往診。雨は降っていませんでしたが朝より寒さが厳しい感じ。夜は大和市医師会の理事会に出席。大きな議事は無く珍しく8時過ぎには終了~。
さて、先日かつての食堂車の話題を取り上げましたが、現在では食堂車が付いている列車は3列車のみ。上野と札幌を結ぶ「北斗星」と「カシオペア」、大阪と札幌を結ぶ「トワイライトエクスプレス」です。このうち定期列車は「北斗星」の1本のみ。何とも寂しい状況です。
ご存知の様に、「北斗星」は昭和63年3月13日に青函トンネルが開通した日から上野~札幌間で運転されている寝台特急。当初は2往復でしたが、今や1往復のみになってしまいました。
下の写真は1997年1月31日、札幌駅に進入するDD51型ディーゼル機関車牽引の「北斗星」 。この時は学会の帰りに札幌から上野まで乗車しました。
北海道内は青く塗られたDD51型ディーゼル機関車が重連で牽引します。
機関車の側面には星のマークが描かれています。
この日は大雪で千歳空港は閉鎖。隣のホームの特急は雪ダルマのよう。
札幌駅で上野行きの表示を見るのは今でも何となく違和感があります。
この時は同行者がいませんでしたので、食堂車で1人でコースを食べる勇気も無く、 駅弁を買い込んでB寝台個室で食べました。営業終了後の食堂車を覗いてみるとチョッと後悔。
道内での大雪の影響と“動物”が線路内にいて停車した影響で、少々遅れて上野到着。青森から上野までの牽引機はEF81型電気機関車には全く雪が着いていませんでした。
でも札幌から走り抜いて来た客車の足回りは雪だらけ。
以上は13年も前の写真ですが、「北斗星」は1988年の登場時から現在まで、20年以上ほとんどその基本スタイルを変えていません。そろそろ限界でしょうか。下の3枚の写真は昨年9月の写真(2009年9月札幌駅)。
ただし、登場時から活躍してきた上野~青森間の牽引機EF81型電気機関車はもうすぐ新鋭機にバトンタッチの予定です。3月13日のダイヤ改正で金沢行きの寝台特急「北陸」が廃止されると、上野を発着する寝台特急は奥羽本線経由青森行きの「あけぼの」と不定期の札幌行き「カシオペア」、それにこの「北斗星」のみになってしまいます。
3月1日月曜日。曇り。今日から3月ですが、風は冷たくて予報ほど暖かくはない一日になりました。
クリニックは、午前中はほどほどの混雑でしたが、午後は平穏でほぼ予約時間通りで順調。風が強めだったためか、花粉症状の方が今日も多めでした。
近所の梅の花も、雨と風で散り始めました。
夜は、6月から始まる平成22年度特定健診の検討会に出席。メンバーは大和市医師会側9人と行政側(保険年金課、健康づくり推進課、高齢介護課)の代表の方。検査結果の記載をする用紙のレイアウトから始まり、事務処理の流れ、市民への広報の仕方、裏面の検査説明の内容に至るまで、検討項目は山積。幸い大和市だけで対応出来る追加項目に関する事柄に関しては市の方で柔軟に対応して頂けそうで有難いことです。
それにしても毎回思うのは市の職員の方々のご苦労。最前線で市民から責められるのはわれわれ医療機関ですが、その医療機関から責められるのは、市の担当部署の職員の方々。でもそこから上はどうなっているのでしょう。国や県単位で定めた項目や書式は、市のレベルではどうにもなりません。板ばさみでストレスが貯まりそうですね~。
・・・とはいえ、細かい文字で書かれた判り難い調査票の質問項目や生活機能評価検査票を埋める作業は、特に高齢の方には困難。何とかならないものでしょうか。2週間後に第2回の検討会の予定。
夜9時頃に終了しましたが、外は冷たい雨が・・・。