3月4日木曜日。曇りのち雨。今日も寒い一日になりました。
今日は休診日ですが、朝からクリニックで事務仕事。天気がスッキリしないと何となく仕事の効率が上がらないような・・・。思ったより仕事をこなせないまま時間切れ。午後からは聖マリアンナ医大横浜市西部病院の循環器内科外来へ。今日は予約数は少なめで早々に終了。
先日、旧い写真を整理していて昔の留学時代の写真が出て来たので、何の脈絡もありませんが、アメリカのメリーランド州ボルチモア(Baltimore)の紹介をします。時期は1993年から1994年にかけてですから、もう16~17年前の写真です。
下の写真は留学先のジョンズホプキンス大学から見たボルチモアの中心部。人口は当時70万人程でしたので、相模原市と同じくらい。大和市の3倍くらいでしょうか。
ボルチモアはワシントンD.C.の北、アメリカ東海岸にある歴史ある街。古くから天然の良港として知られ、1729年に南部産タバコの輸出港として開かれ発展したそうです。南北戦争の舞台にもなり、アメリカ国歌や星条旗もボルチモア生まれ!。アメリカ映画にもよく登場します。
下の写真は再開発地区のインナーハーバー。ここには大型ショッピングセンターや全米屈指のボルチモア国立水族館、海洋博物館などがあり、小奇麗で休日は賑やかなところ。
下の写真の三角屋根がボルチモア国立水族館で、大阪の海遊館の姉妹館。ボルチモアオリオールズの拠点の球場も近く。
またボルチモアはアメリカの鉄道発祥の地。1830年に全米で初めてボルチモア・オハイオ鉄道(B&O)が開通しています(この辺の話は長くなりそうなので別の機会に)。その後ボルチモアはペンシルベニア炭田の開発により工業都市として、また貿易港として発展し、1950年代のピークには人口100万人に迫る勢いだったそうです。
しかし、1960年代から施設の老朽化と主産業の構造不況によって、ダウンタウンから人口が流出し、スラム街が発展、治安の悪化が進んで、全米でも有数の治安の悪い街になってしまいました。現在でも人口は減っていて、中心地の空洞化は依然として深刻なようです。
創立100年を超えるジョンズホプキンス大学が建てられた当時は瀟洒な街の中心だったのでしょう。
しかし、かつての街の中心部はスラム化したため、大学がその中に取り残されたような形に。従って大学の周辺の治安はあまり良いとは言えません。
大学の駐車場から北側を眺めると美しいとはとても言えない街並み。
大学の北側のエリアは危険地帯。足を踏み入れないまま帰国してしまいました。今となっては少し残念~!?。
街の中心部の住人は黒人が大半。周辺部に行くにつれて白人が多くなります。当時住んでいたアパートは治安の比較的良い周辺部でしたので、大学までは車で30分程かけて通っていました。今回はこの辺にして続きはまた・・・。
コメントする