2月4日金曜日。晴れ。日中は暖かくなりました。
今日のクリニックはほどほどの混雑。インフルエンザのピークは過ぎたのでしょうか。それともたまたま?。チョッと落ち着いた感じでした。
今日は感染性胃腸炎に罹ってしまった受験生の方が受診。本番直前、何とか受験出来るよう念じて処方させて頂きました~。
さてこの前の日曜日の続き。箱根から町田着14:17のロマンスカーで帰って来ましたが、夕方まで少々時間があったので、そのまま横浜線に乗って2駅、淵野辺まで行って来ました。なぜ淵野辺かと言うと、駅近くの鹿沼公園内にD52型貨物用蒸気機関車が保存されているからです。
淵野辺駅の南側(桜美林と逆側)に降りて、ロータリーを真っ直ぐ突き抜けてしばらく行くとD52の後姿が見えてきます。
兄貴分のD51が有名なのに弟分のD52があまり知られていないのは、図体が大き過ぎて幹線筋しか走れず、比較的早く廃車になってしまったからでしょう。
D52は急増する戦時輸送に対応するため、昭和18年から製造された国鉄最大の貨物機。最後の10輌が北海道の五稜郭機関区に配置されて昭和48年まで使用されていました。その最後の10輌のうちの1輌がここ淵野辺に保存されている235号機です。
それまでは荒廃した姿を晒していたそうですが、2008年夏にボランティアの方たちによって大掛かりな修復作業が行われたそうで、現在は美しく黒光りしていました。まるで現役機のようです。
それにしても、さすがにD52!。背は高いし、国鉄の蒸気機関車の中で最大径を誇るボイラは太いしで迫力満点。
図体の割には狭くて高い位置にあるキャブ(運転台)。鎖が結ばれて入れないようになっています。外板は長年の野外展示で腐食が進んでいます。製造銘板は無くなっていてペンキ書き。
車輛限界ギリギリの大きなD52の斜め後ろ姿は、かなり迫力があります。
複雑極まりないキャブ下のパイピングは蒸気機関車の魅力でもあります。
動輪は直径1400mm。貨物機なので小振りな動輪が4軸。
さて榎本武揚の如く、最後まで五稜郭に立て籠もっていたD52の10輌のうち3輌が保存機として現存しています。この235号機と、沼津に136号機、そして京都梅小路蒸気機関車館の468号機です。468号機はD52のラストナンバーで、他とは別格の手厚い保存。
下の写真は468号機。巨人機だけに車輛限界ギリギリの設計のため、ドームは扁平、煙突は短く、汽笛も斜めに取り付けられています。
235号機と468号機を比べて見ると保存先の境遇の違いが良く判ります。肌艶が違いますね~。
私自身は、最後の最後になって函館本線を走るD52202号機に出会うことができました。昭和48年3月、初めての北海道旅行の際です。もっと早く生まれていたかった~。
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