6月13日木曜日。雨。今日は終日結構な雨降りになりました。最高気温は22℃。
今日は休診日でしたが、天気が悪かったので横浜市都筑区(鴨居駅近く)のショッピングモール「ららぽーと横浜」まで出かけて来ました。モール内は天気が悪くて行き場を失った(?)親子連れで結構混雑していました。
さて先日、近所の書店で「よみがえるキハ80系・181系 全国各地を駆け巡った特急型気動車の勇姿」(三品勝暉著、2013年5月7日発行、学研)を見つけました。
昭和36年10月のダイヤ改正から全国に活躍を拡げたキハ80系や、その出力増強版のキハ181系の活躍の軌跡を辿ることが出来るバイブル。懐かしい光景が満載です~。
かつては日本全国どこへ行っても大抵姿を見かけましたが、当時の「特急」は敷居が高くてなかなか乗れませんでした。
私がかつて撮った写真でスキャン済みのものを数点お目に掛けます。以前本ブログでご披露したものもありますがご容赦を~。
まずはキハ181系の「つばさ」。上野と秋田を奥羽本線経由で結んでいました。1970年2月にキハ80系からキハ181系に置き換えられてスピードアップ。この写真の撮影当時は12連の長大編成でしたが、奥羽本線の板谷峠でオーバーヒートが立て続き、補機連結の上11連に短縮されました(1973.8東北本線上野駅)。
キハ181系のもうひとつの代表列車といえば「しなの」。名古屋・大阪と長野を中央西線経由で結んでいました(1973.8中央西線木曽福島駅)。
今度はキハ80系の写真を。「日向」は大阪と宮崎を13時間以上(!)かけて結んでいました。当時は宮崎への新婚旅行客が多かったそうですが、所要時間は現代のヨーロッパ並み!(1973.11日豊本線高鍋駅)。
「オホーツク」は札幌と網走を結ぶローカル特急。7連ながらグリーン車と食堂車付きでした(1978.3石北本線呼人~女満別)。
キハ80系の代表列車のひとつ「まつかぜ」は山陰本線経由で大阪と博多を結んでいました。この列車も所要時間は約13時間!。通しで乗る人はどれくらいいたのでしょうか(1979.3鹿児島本線博多駅)。
「おおよど」は博多と宮崎を肥薩線、吉都線経由で結んでいましたが、1974年から1980年までのわずか6年で廃止(1979.3鹿児島本線博多駅)。
1980年代に入ると旅客需要の低迷、国鉄の経営悪化による合理化の名のもとで「特急」は次第に風格と威厳を失ない、食堂車はおろかグリーン車すら連結されない列車も現れました。
「おき」は米子と小郡を山口線経由で結んでいましたが、国鉄最後のダイヤ改正時(1986年11月)にはわずか3両編成まで短縮されてしまいました(2000.4山口線地福駅)。
「いそかぜ」は2000年当時は米子と小倉を結ぶローカル特急。「おき」同様たったの3両編成(2000.4鹿児島本線小倉駅)。
その後、奇跡的に残っていた最後のキハ181系の定期特急「はまかぜ」もついに2011年春に置き換え。2010年6月13日が私にとって最後の乗車になりました。もう独特のエンジン音は聴けません~(涙)。