4月6日月曜日。晴れのち曇り。朝は9℃、日中は22℃まで上がりました。
週明けのクリニックは朝から混雑。気温が上がって汗だくの患者さんがたくさん。気温差10℃以上になると着る物の調節が難しいですよね~。
午前中は咳が止まらないと言って来られた方の中に心不全の方や、重症の肺炎の方がいらしてバタバタ。午後からは時間のかかる予約外の方がいらして、以降の予約はガタガタ。遅くなってメールを開けば大学の同級生の訃報にガックシ・・・。明日は“寒の戻り”の予報で要注意です~。
さて気分転換。だいぶ時間が経ってしまいましたが今日は先月の九州行きのレポートの続き。
筑豊本線の若松からの列車は折尾止まり。折尾で待っていた14時00分発の直方行きは、近代的なブラックフェイスの817系電車でした。
車内は転換クロスシート。チョッとリッチな感じ。
そんな車輛のドアに似つかわしくない“床に座らないでください”のステッカー。JR九州のほとんどの車輛に貼ってありましたが、そんなに床に座る人が多いのでしょうか。
ここはかつて石炭輸送の大動脈で、長大な石炭列車が行き交っていた石炭街道。
諸先輩のC55やD60の写真の撮影地として聞き覚えのある駅名が次々と。
私自身は2000年の春、電化前に最後に残ったDD51形ディーゼル機関車牽引による50形客車列車を撮りに来たことがありました(鞍手~筑前植木、2000年4月14日撮影)。普通客車列車としては日本で最後の列車で、早朝の通勤列車でした。
この時期の沿線は至る所で菜の花が満開でした。
春のポカポカした日差しにチョッと眠くなって来た頃、直方に14時19分着。
直方駅は2011年4月から使用を開始した真新しい橋上駅になっていました。煤けた駅を想像していましたが・・・。
構内には直方市出身の大関魁皇(かいおう)の銅像。福北ゆたか線の直方~博多間を走るJR九州の特急「かいおう」の名のもとです。
ここもかつては石炭輸送の鉄道網の中枢として若松機関区とともに大機関区があったところ。今でもJR九州の車輛基地があります。広い構内が昔日の栄華を偲ばせます。
西口側へまわって見るとキハ31形の姿。九州でしか見られない気動車です。
キハ31形は昭和61年~昭和63年に23両製造され、現在は直方に14両、熊本に8両配置。
構内に東側の片隅には平成筑豊鉄道のホームがありました。
そこには菜の花色の単行気動車の姿が。
平成筑豊鉄道はかつての国鉄伊田線、糸田線、田川線を傘下に納める第3セクター方式の会社。いつかはゆっくり乗りに来なければなりません・・・。
直方発14時39分の博多行きは813形電車。今度は新飯塚もしくは飯塚で降りてみようかと思います。
とりあえず新飯塚までの切符を購入。
新飯塚は後藤時線の分岐駅ですが、構内には全く車輛がいなかったので、急遽となりの飯塚駅まで乗り越すことに。飯塚駅には14時58分着。
飯塚はかつては上山田線の起点でしたが、1988年に廃止されてしまいました。ホームに降り立つと、昔の写真で見たことのあるボタ山が目の前に!。
これから飯塚の街を巡ってみようと思いますが、長くなって来たので続きはまた後日~。
コメントする