4月27日月曜日。晴れ。朝は12℃、日中は24℃。今日は全国的に季節はずれの気温の上昇を記録。北海道や東北、北陸などで30℃越えの真夏日になったそうです。大和でもあと一歩で夏日でした。
今日のクリニックは終日混雑。気温が高い割には体調の悪い方がたくさん。いつもより新患の方が多めでした。ここのところ何故か高齢者のB型インフルエンザの方がちらほら。まだまだ注意が必要です。
診療終了後は大和市医師会で会計業務。夜9時頃に帰宅の途に就きましたが、まだまだ気温が高めでした。
さて、ここのところ何かと多忙で、積み残したままのレポートが増えて来ました。今日は未完のままになっている3月の九州筑豊本線のレポートの続きを今更ながら~。
3月21日に福岡空港から遠賀川、若松、直方と巡ったところまではレポート済み。その後直方駅14時39分発の博多行きの電車に乗って14時58分に飯塚駅に着きました。
飯塚駅のホームに降り立つとホーム前方に形の良い山。今では緑に覆われていますが、諸先輩が撮った筑豊本線飯塚駅発着の蒸気機関車の写真の背景に登場する“ボタ山”の姿でした。正式には忠隈炭坑のボタ山だそうです(注:ボタ山とは採掘した石炭から選炭作業で取り除かれた不純物“ボタ”を積み上げたもの)。
かつてたくさんの引き込み線が敷かれていた駅の裏手は他の駅と同様に駐車場になっていました。ボタ山の前には近代的マンション。どこか一角から昭和63年に廃止された上山田線が発着していたはず。
かつては急行「阿蘇」、「天草」、特急「みどり」、「いそかぜ」、「かもめ」や寝台特急「明星」、「あかつき」などが停車したであろう長いホームの大部分は使われていない感じ。現在では優等列車は直方と博多を結ぶ電車特急「かいおう」のみ。
ホームを良く見て見ると、少なくとも3回は嵩上げされている様子。
一番低いホームは明治26年の筑豊興業鉄道開業時のものでしょうか。
改札を出ると人影少ない駅ロータリー。振り返ると駅舎は立派でした。飯塚市は筑豊最大の人口を擁するこの地区の中心都市ですが、最近の1日平均乗車人員は1100人余。かつて鉄道は石炭輸送が主体だったため、飯塚駅も市街地の南のはずれ。隣の新飯塚のほうが中心市街地に近いそうです。
次の列車まで1時間ほど。ロータリーで人待ち顔のタクシーに乗り込んで「ボタ山が一番良く見えるところに連れて行って下さい」とお願いしたら、即座に「ここです」とのお返事。駅から見る姿が一番良いそうで。それならと近くに残る炭鉱の遺構を巡って下さることに。運転手さんは昭和49年に閉山になった貝島炭坑で育ったという地元の方でした。
かつての上山田線の線路跡に出来た道路(地元では“線路道”と言われているそうです)を辿ると、石炭の積み込み施設の跡や・・・。
巻上機台座の跡が残っていました。
知らなければ何だか判らないまま見過ごしてしまいそう。
近くには、かつての炭鉱住宅(いわゆる炭住)が残っていました。
路地の突き当たりにボタ山。
こちらの路地からも。職住接近!。
かつては子どもたちの声で賑やかだったそうですが、今はヒッソリと静かな佇まい。
知らずに車で迷い込んだら動きが取れなくなりそうな細い路地も。
それにしても住人らしき方の姿を見かけません。休日だから??。
坂を上がったドン詰まりからは、新しい飯塚の街が見下ろせました。何だか違う時代を見ているみたい!?。
市内の川沿いからボタ山を眺めて、駅へ戻りました。
飯塚発15時59分の博多行きはやっぱりモダンなブラックフェイスの電車でした。
さらに先を目指しますが、だいぶ長くなってしまいました。残念ながら今回もまた積み残し~。
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