11月1日日曜日。晴れ。朝は9℃、日中は17℃。気温は低いけれど高気圧に覆われてスッキリ晴れ渡りました。
今日は早起き。朝7時前に家を出て東京駅へ。東京駅8時12分発の「はくたか555号」金沢行に乗り込みました。車両はJR西日本のW7系。まだピカピカです。
本当は終点の金沢まで行きたいところでしたが、今日は途中の軽井沢駅で下車して紅葉見物の予定。キップは昨夜帰りがけに天気予報を見て急遽町田駅で用意しました。
軽井沢駅には早くも9時25分に到着。降り立ってみると気温は6℃!。さすが避暑地、さっ、寒い~。まずは軽井沢駅からさほど遠くない紅葉の名所「雲場池」まで偵察に。周辺は朝にもかかわらず結構な人出でした。
残念ながら既に紅葉の最盛期は過ぎている様子でした。それでも雲場池の水面に映る紅葉は綺麗。
しばし眺めたあと、今度は国道18号線の旧道を横川方面へ辿って熊ノ平へ。 熊ノ平は北陸新幹線開業に伴う信越本線の横川~軽井沢間廃止(1997年9月30日)まで信号所があったところです。現在は廃線跡を利用したウォーキング・トレイル「アプトの道」として整備されています。
国道沿いの入口から階段を登ると・・・。
熊ノ平の構内の廃線跡に到達。レールも信号機も残っていて、草を刈れば列車が走って来そう!?。写真は軽井沢方を見たところ。
トンネルの先が急勾配になっているのが判ります。
以前、私は1976年4月3日にここへ来ておりますが、その時の写真と比べてみると、ビックリするくらい変わっていません(写真は再掲)。
全ての列車の横川方にはEF63型直流電気機関車の重連が付いて、シェルパとして急勾配をサポートしていました。
客車や貨物列車は僚機EF62型が本務機を務めていました。そこにEF63型重連が補機に付くので横川方面の列車は3重連!。
大型重量級機関車の3重連は大迫力でした。懐かしい~。
さて以下は今日の写真に戻ります。下は横川方を見たところ。中央には整備されたトレイルが延びています。
下の写真は横川方へ進んで軽井沢方を振り返ったところ。ホームも残っています。国鉄末期は“信号所”に格下げされていましたが、昭和41年1月まではれっきとした“駅”でした。
構内に設置されていた説明板によると、文部省唱歌「紅葉」は作者の高野辰之が熊ノ平の紅葉を詠ったのだそうで、昔から紅葉の名所だった様です。
でも残念ながら、軽井沢ではピークを過ぎていた紅葉はこの辺りまで降りて来るとあと一息の感じでした。
近くには「アプト式開通の碑」。1893年~1963年の間、横川駅と軽井沢駅間で2本のレールの間に設置されたラックレールに機関車の歯車を噛ませて急勾配をよじ登る方式が採用されていました。
今日は人が少なくて静かでしたが、11月21日の「ブラタモリ」でこの周辺のことが取り上げられるそうで、その後は混雑してしまうかも。
横川方へ進んで行くと4本のトンネルが口を開けていました。
新しいものは昭和38年にアプト式の旧線から新線に切り替えられた時のものでしょうが、煉瓦積みのポータルは明治26年4月1日開通時からのもの!?。
トレイルは煉瓦積みのトンネルの中へ続いています。
このトレイルを辿って横川まで歩きますが、長くなって来たので続きはまた後日報告致します~。
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