7月になった途端、7月1日金曜日から連日30℃越えの日々。特に7月3日日曜日は34℃まで上がってヘロヘロでした。
クリニックは金曜日も土曜日もほどほどの混雑。金曜日は診療終了後に大和市地域医療センターへ。休日夜間急患診療所の当番に当たっておりました。こちらは至って平穏で受診者は僅かに9人。この季節、急患診療所がヒマなことは良いことですが、少々手持無沙汰でした!?。
さて本日も先週の稚内行きの続きを。6月26日日曜日は札幌7時48分発の「スーパー宗谷1号」に乗って稚内に12時53分着。実に所要時間は5時間05分!。もっとも昭和50年8月に初めてこの地を踏んだ時は夜行客車急行「利尻」で札幌21時20分発で稚内6時25分着でしたから、実に9時間05分もかかっていた訳で・・・やはり稚内は遠いのです。
ホームの北の外れには「最北端の線路」の看板がありましたが“最南端から北へ繋がる線路はここが終点です”とわざわざ注記してあります。
その理由は“繋がらない”線路がその先にあるから!?。平成23年4月に開業した現駅舎はガラスを多用した瀟洒な建物ですが、その先に更に線路が続いていました。
そして駅前広場に「日本最北端の線路」の碑が!。
こちらのモニュメントは、現在の駅舎が平成23年4月に開業するまでの旧稚内駅で最北端だったところに稚内市が平成24年3月に復元したものだそうです。
さて、お腹が空いたので食事が摂れるところはないかと駅前を少し歩いてみましたが、それらしきお店は無し。近くのアーケード街はほとんどシャッターが閉まっていました。
結局、少々駅から離れた稚内港近くの食堂へ。左は私の海鮮丼、右は友人が注文したウニ丼。
食後は夕方の飛行機まで少々時間があるので、折角ここまで来たからには宗谷岬まで表敬訪問することに。
写真は有名な「日本最北端の地」の碑。本当の最北端の地は北方領土択捉島のカモイワッカ岬だそうですが・・・。
下の写真はこの碑の裏手にまわって撮った写真。最北の岩たち!?。晴れていれば樺太までクッキリ見えるはず。
最北の土産物屋さんの温度計はなんと9.9℃になっていました。ど~りで寒いはず。右はこの近くから樺太を目指して出航した間宮林蔵の像。
背後の丘へ上がってみると、明治35年に築かれた旧海軍の望楼がありました。現在は崩壊の危険があって立ち入り禁止。
裏手に回って眼下を見やれば、先ほど立ち寄った最北端の碑が見えます。
風が強くて体感気温は更に低いため、とてもじゃないけど長くはジッとしていられません。景色をゆっくり眺めるゆとりは無し。
後ろには1983年9月1日に起きた大韓航空機撃墜事件のモニュメント。ボーイング747型の乗客乗員269名が犠牲になりました。
さらに南側に広がる宗谷丘陵一帯は広大な牧場になっていました。
黒い点々が宗谷牛。左上に見える建物が厩舎です。
あれっ、茶色い牛?。
いえいえ、こちらはエゾシカです。
晴れて海と空が青ければね~。
稚内空港は稚内市街と宗谷岬の間に位置します。16時30分発のANA574便東京行きは166人乗りのエアバスA320。花の季節を迎えた利尻・礼文帰りの観光客の方々もいらした様で満席でした。
18時25分には東京に戻って来ました。帰りは僅か2時間弱。羽田の気温は27℃でした。ふ~っ。
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