さて少々ネタが古くなってしまいましたが、10月16日の網走行きレポートの続きを進めなければなりません。
札幌から乗車した特急「オホーツク1号」は3時間30分かけて遠軽駅に到着。ここで4分停車。進行方向が変わります。
遠軽はかつては旧名寄本線(現在は廃止)と石北本線が接続する鉄道の要衝でした。名寄、湧別から遠軽を経由して北見、網走へ向かうルートの方が石北本線のルートより古くからあったため、ここで方向転換することになったようです。
下は名寄本線や湧網線が健在な頃の鉄道地図。
下はJTB時刻表の今年4月号の地図。以前に比べると線路が減って随分とスッキリ~(涙)。今やこの残った線路さえ存続の危機にあります。
かつて国鉄遠軽機関区には要衝として20両ほどのD51形と9600形蒸気機関車が配置されていた時代がありました。
現在では機関区は跡形も無くなってしまいました。
遠軽を発車すると、しばらくは平坦地を意外な高速で疾走。生田原には11時11分着。
蒸気機関車時代には、この先の常紋峠越えのために補機9600型蒸気機関車が待機していました。折角停車したのに本日の乗降客はゼロ。
常紋峠はかつては蒸気機関車の撮影名所として全国に名を轟かせていましたが、さすがに現代車両は難無く登り切ってサミットの常紋トンネルに突入。常紋トンネルは過酷なタコ部屋労働で建設され、トンネル壁面からは人柱の人骨が発見されることも。
トンネルを抜けると常紋信号所。ポイント部分は大きなスノーシェルターに覆われていましたが、かつてを偲ばせる地形はそのまま。
峠を下ると、この3月25日に廃止されて信号所となった旧金華駅、さらに次の西留辺蘂駅を通過して、留辺蘂駅に停車。
駅構内の線路は剥がされて駅舎とホームとの間には不自然な空間が。
次は道東の中心都市である北見駅。さすがに乗客の大半が下車しました。ホームの屋根は昔のまま。
北見駅を発車するとラストスパート。端野駅を通過するとカーブしながら常呂川を越えるコンクリート橋に繋がる築堤を一気に駆け上がります。
このあたりにはかつて蒸気機関車の写真を撮りに来たことがありました。下の写真は急行「大雪6号」がそのまま北見~網走間で普通列車1527列車として運用された列車(いわゆる“大雪くずれ”)で、寝台車もグリーン車もそのままに急行編成を蒸気機関車が牽引。当日の牽引機は北見機関区のC58型蒸気機関車418号機でした(端野~緋牛内間、昭和50年3月撮影)。
その先を進むとコンクリート橋で常呂川を渡ります。
このあたりの風景は40年以上の歳月を経てもあまり変わっていませんでした。下は当時の写真(端野~緋牛内間、昭和50年3月撮影)。
終着が近付くと、左手には網走湖が見えて来ました。
下の写真はこのあたりで撮った国鉄時代の急行列車。当時の急行列車は長大編成でした(呼人~網走間、昭和53年3月撮影)。
そしてついに特急「オホーツク1号」は12時40分に終着網走駅に到着!。
朝7時21分に札幌を出て実に5時間19分の長旅でした。
老体に鞭打って頑張ったこのスラントノーズの183系気動車編成は、小休止ののちに早くも13時26分発のオホーツク6号として札幌へ折り返す予定。網走から先へ行く釧網線の列車は15時10分までありません。
下の写真は網走駅ホームで撮影した先代82系気動車時代の特急「オホーツク」の写真です(昭和53年3月撮影)。
さてオホーツク完乗で今回の旅の目的は終了ですが、まだ少々時間があるので周囲を観光してから帰宅の途につこうかと思います。
長くなって来たので続きはまた後日~。