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矢岳越え

7月28日金曜日7月29日土曜日は曇り一時雨。朝は24~25℃、日中は31℃。この1週間はスッキリしない梅雨のような天気が続きました。

クリニックは金曜日も土曜日もほどほどの混雑。かぜの方が少なくなり予約外の方が減ったので、待ち時間は一時のように酷いことにはならなかったはず。ただ予約自体はパンパンで、特定健診・長寿健診は既に9月まで満杯に。トホホ~。

さて今日は海の日の連休の九州行きのレポートの続きを。7月16日日曜日、鹿児島中央駅から「はやとの風2号」に乗って吉松駅に11時11分着。駅周辺を散策してからいよいよ矢岳越えへ。

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ここからは11時49分発の「しんぺい2号」人吉行きに乗り継いで大畑へ向かいます。現在、吉松~人吉間の列車は5往復のみ。そのうち日中の2往復が特急「いさぶろう」と「しんぺい」です。下りの吉松行きが「いさぶろう」、上りの人吉・熊本行きが「しんぺい」。

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愛称の由来は「いさぶろう」が人吉~吉松間が建設された当時の逓信大臣山縣伊三郎、「しんぺい」は同じく鉄道院総裁の後藤新平。

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車両は「はやとの風」と同じく種車は国鉄時代の一般型気動車キハ40系。こちらも水戸岡鋭治氏のデザインです。

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発車間際に肥薩線の普通列車が到着。

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キハ40系の“特急”と“普通列車”が並びました。生い立ちは一緒なので“顔”は当然のことながら瓜二つ。

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明治42年当時の鹿児島本線最後の開通区間であった人吉~吉松間の矢岳越えは、開通当初から名だたる急勾配区間として有名。スイッチバックとループ線を駆使して峠を越えて行きます。下は吉松駅構内の資料展示館の図。

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「しんぺい2号」の車内は「はやとの風」から乗り継いだ方に吉都線から乗り継いだ方が加わって満席でした。定刻に発車。左へ上がって行く線路が人吉方面。

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吉松駅発車直後から結構な勾配区間が始まり、キハ40系はゆっくりだけど確実に高度を稼いで行きます。

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次第に山深くなって鹿児島県と宮崎県の県境を越えると、車窓右手に「復員軍人殉難碑」がチラッと見えました。ここで昭和20年8月22日に多くの復員兵を乗せた列車が勾配を登り切れずにトンネル内で立往生。蒸気機関車の煙が車内に充満したため多くの乗客が列車から降りて避難しているところに列車が逆走。56人が亡くなりました。折角生きて本土に辿り着いたのに・・・。

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現代車両は立往生の懸念も無く真幸(まさき)駅に無事到着。吉松の標高が213m、真幸の標高が380mですので、167m上がって来ました。ここで5分停車。

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駅舎内やホームでは地元の方が特産品や飲料・食料などを販売。

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駅舎は明治44年開設当時のままで、やはり良い雰囲気です。真幸駅は宮崎県で初めて出来た駅、また肥薩線で唯一宮崎県の駅ですが、近年の乗降客数は1~2名/日だそうで・・・。

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真幸駅はスイッチバック駅。逆向きに発車して引き上げ線に入って停車。車内を運転士さんが前後に移動して再度逆向きに上がって行きます。下に先ほどに通った線路が見えて・・・。

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ホームを下に見ながら登って行きます。

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ホーム上では地元の方々が手を振ってお見送り。

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延々と勾配を登りつつトンネルをいくつか抜け、矢岳第二トンネルと矢岳第一トンネルの間で列車は一時停車。

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ここは「日本一の車窓」として有名なビューポイント。

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「日本三大車窓」の一つにも数えられています(ちなみに他の二つは根室本線狩勝峠越えと篠ノ井線姨捨越え)。

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右手の遠くには桜島も見えました!。

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やがて列車は肥薩線で最長(2096m)の矢岳第一トンネルに。

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坑口上部には「引重致遠」(いんじゅうちえん)の文字。当時の鉄道院総裁後藤新平の揮毫。ちなみに反対の熊本側には当時の逓信大臣山縣伊三郎による「天險若夷」(てんけんじゃくい)の文字が掲げられていて、続けて読むことにより「天下の難所を平地のようにしたおかげで重いものを遠くへ運べる」という意味になるのだそうです。

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このトンネルを抜けるとサミットを越えて熊本県に入りました。ほどなく標高536.9mの矢岳(やたけ)駅に到着。ここでも5分停車。ここにはSL展示館がありますが、私的には5分では見切れないので、あとで戻って来るスケジュール。

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矢岳駅を発車すると、あとはひたすら下り坂。半径300mのループ線に差し掛かります。

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途中、大畑(おこば)駅が見下ろせるポイントで停車。

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さらに人吉方面が見えるポイントでも停車。

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大畑駅には12時49分に到着。ここでも5分停車です。やはり駅構内では地元の方による特産品等の販売が。

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さて、われわれはここで下車。「しんぺい2号」が12時54分に発車して行くのを見送ってから、静まり返った駅周辺でのんびり~。

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駅舎内にはありとあらゆるところに訪問者の名刺が貼られていました。

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ここも明治42年の開業以来の駅舎。待合室の真ん中に七夕飾り。

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標高は294.1mしかありませんが、待合室を吹き抜ける風は意外に涼やか。

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ただ日向の暑さはただものではありません。さすがに南九州ですからね~。

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駅周辺に人家は無し。

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駅構内には蒸気機関車時代の給水塔の一部が残っていました。

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今となっては貴重な産業遺産かも。

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右がループ線へ上がる矢岳方面、左が人吉方面。

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しばらく蝉の声以外は聴こえない静寂の世界にしばし浸っておりました。

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やがて列車の音が近付いて来て・・・。

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先ほどの「しんぺい2号」が人吉で折り返して「いさぶろう3号」として戻って来ました。車内はやはりほぼ満席。

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13時44分発の「いさぶろう3号」で先ほど通過して来た矢岳へ戻りますが、ちょっと長くなって来たので、続きはまた後日に~。

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