先週の木曜日まで1週間お休みを頂いておりましたので、先週末は何となくまだお休みモードが続いておりましたが、今週からは本格始動です~。
週明けの8月20日月曜日は雨のち曇り。朝は20℃、日中は26℃で、先週来の涼しさが続いていましたが、台風接近に伴って8月21日火曜日は30℃、そして8月22日水曜日は32℃まで上がり、暑さがまた戻って来ました。
クリニックは気温変化が大きいためか、長引く喉かぜ、咳かぜの方がたくさん。周辺のクリニックはまだお休みのところがあるようで、持病の薬を切らして駆け込んで来られる初診の患者さんがちらほら。8月21日火曜日昼は大和市医師会事務局で会計業務。8月22日水曜日の診療終了後は武蔵溝の口で2年後に開催予定の大学同門会の打ち合わせ。
さて遅くなりましたが今日は夏季休診期間のレポートを。今年も例年の如く前々から休みに入った途端に現実逃避の旅に出ることを企てておりました。今回の目的地はスリランカ。ところが出発日が近付くにつれて台風13号が徐々に接近してくるではありませんか!。いよいよ進路がヤバくなって当日朝に成田空港に着けない可能性が濃厚になって来たため、出発前夜の8月8日水曜日の診療終了後に暴風雨の中を急遽成田空港へ向かいました。夜10時過ぎに空港近くのホテルにチェックイン。
明けて8月9日木曜日の朝はモロに台風13号の暴風域。朝9時に銚子を通って北東方向へ・・・。
コロンボからの折り返し便は成田に朝7時35分到着予定でしたので、最悪欠航かと覚悟して「真っさらで予定の無い贅沢な1週間の過ごし方」を真剣に考えながら空港へ行ってみると、ありがたいことに折り返し便は遅延するものの約3時間遅れで到着予定。1時間半遅れで出発の予定になっていました。出発掲示板を見ると、台風直撃にも拘わらず各社とも意外に欠航は少なめ。
外の様子を見ると欠航にならなかったのが奇跡に思える状況でしたが・・・。
当初の変更時間通りに1時間半遅れでスリランカ航空UL0455便のエアバスA330-300は成田空港を飛び立ちました。
乗員は全員スリランカ人で機内放送は英語と日本語。CAはお腹~背中周りを露出した南国らしい制服でした。台風の影響で結構揺れました~(涙)。
成田~コロンボ間は所要9時間20分。時差は3.5時間。機内誌を手に取ってみると、一部英語、シンハラ語、タミル語が併記されているものの、メインはシンハラ語でした。
シンハラ語はアルファベットとは全く異なる字面で、一体何が書いてあるのやら・・・。
スリランカ上空に差し掛かると緑の多い大地が見えて来ました。
かなり高い山の姿も。
高度を落として来ると緑の大地。まるで成田周辺に似た光景で雑木林の間に田んぼやゴルフコース(?)かと思いきや・・・。
雑木林に見えた緑はヤシの木でした。う~ん、南国だ!。
コロンボ近郊のバンダラナイケ国際空港には1時間ほど遅れて着陸。外へ出てみれば、気温は猛暑の日本より涼しい28℃程度。
到着後、空港内でスリランカ・ルピーに両替。1円が1.38ルピーでした。
到着後は空港近郊のネゴンボという海沿いの街へ。ネゴンボはスリランカ最大の漁港をもつ街ですが、空港に近いので玄関口としてビーチ沿いにたくさんのホテルが並んでいます。今宵はスリランカ出身の有名な建築家ジェフリー・バワが初めて設計したホテル「ジェットウイングラグーン」に暗くなってからチェックイン。洗練された室内は・・・撮り忘れましたが派手さは無くて至ってシンプル。風変わりなのはバス、トイレが外にあること(ちょっと落ち着きません)。あとはお湯さえチャンと出てくれたら完璧でした!?。
夕食はスリランカ風のものを。左上は真ん中に卵を落とし込んだお椀型クレープ、ビッタラ・アーッパ。なかなか美味でした。スリランカ料理はもちろんカレーばかりではありません。
翌8月10日金曜日は曇り空。明るくなってみればホテルの敷地は広大。
ホテル玄関から道路を渡るとインド洋が広がっていましたが、波は荒くて冬の日本海の如し。この季節は南西モンスーンの影響で西海岸は天気が悪いのだそうです。
敷地内にはヒメコモンアサギマダラの姿が。
植物はよく判りません・・・。
さて朝食を済ませてから街へ。大勢の人出賑わっていたのは漁港と隣接する魚市場でした。
現地の人ばかりで観光客は皆無でしたが、ここはやっぱり突入するしかないでしょう。
意外にも扱われている魚は日本人に馴染みの種類ばかりでした。
那覇の牧志公設市場で見かけるような色とりどりの熱帯魚風は全く見かけません。
漁港に隣接した市場ですから、もちろん鮮度は抜群!。
でも周辺に散らばったゴミから発する生臭さはかなり強烈です~。
包丁ではなく鉈(なた)で魚を裁くのが日本と違うところ。周辺の人が鉈を持って歩いているのでチョッと怖い!?。
港には無数の小型船が集結していました。
日本の漁船よりカラフル。
道路の反対側にも渡ってみたいけれど、交通量が多くて渡るのは容易ではありません。日本と同じ左側通行なのはイギリス領だった影響でしょうか。
車は日本製、バス、バイク、3輪車はほとんどインド製。
タクシーは3輪車がほとんど。
商店の看板はシンハラ文字で電話番号以外は解読不能。
郵便ポストは昔の日本風でした。
街はあまりゴミは落ちていなくて意外に清潔。
民家の庭先にはパパイヤの木。
これから世界遺産の古代都市ポロンナルワへ向かいます。長くなって来たので続きはまた後日~。
コメントする