早いもので気付けばいつの間にか11月も半ば。それでも時折20℃を越える日もありましたが、朝晩はめっきり寒くなりました。
近所では夏みかんが色付いて来ました。
クリニックは相変わらずかぜ症状の方が多めでしたが、中にポツリポツリとインフルエンザの方が紛れ込む様になりました。
インフルエンザは早くも全国で流行レベルとなり、2009年のいわゆる新型インフルエンザが流行した年に次いで2番目に早い記録となりました。その98%が2009年と同じH1N1。本格的なピークまではまだ時間がありそうですが、どうぞ早めにワクチンを~。
11月12日火曜日の診療終了後はみなとみらいへ。横浜ベイホテル東急で開催された心房細動に関連する講演会に参加させて頂きました。
心房細動の治療は日進月歩。ひと昔前とは治療方針も治療法も全く様変わりしています。進歩に置いて行かれないように頑張って付いて行かないとね~。
会場の横浜ベイホテル東急のロビーには大きなクリスマスツリーが。
クリスマスツリーが登場するようになるともう年末ムードですね~!?。
11月10日日曜日。札幌地方は晴れ時々曇り。朝は2℃、日中は8℃。
昨夜札幌入り。朝目覚めてホテルのカーテンを開けると青空が広がっていました。
北西方向を望むと北大の農場が。
有名なポプラ並木も既に黄色く色付いていました。
さすがに気温は関東の真冬並み~。
今日はこれから留萌へ向かいますが、留萌地方は曇り空のようです。
まずは札幌発10時00分の特急「ライラック11号」旭川行きに乗車。
車両は789系6両編成。もとは2002年から2011年までの間に津軽海峡線の「スーパー白鳥」向けに製造された交流特急形電車ですが、北海道新幹線開業を機に道央圏の「ライラック」に転用された車両です。
さすがに電車特急だけあって滑らかで軽快な走り。岩見沢、美唄、砂川、滝川と停車しながら、深川には11時05分に到着しました。
深川は留萌本線の起点の駅。かつては機関区も置かれた鉄道の要衝でした。
深川には昭和48年3月に降り立ったことがあります。当時は全国でもここでしか見られなかったD61形蒸気機関車6両のうちの最後の1両が残っていて、その写真を撮りに来たのでした。下の写真は深川駅のはずれで撮った写真。写真の出来はともかくD61に一目でも会えて満足でした。
JTB時刻表の最新号2019年12月号の地図を見ると現在の留萌本線は分岐も接続も無い1本枝の盲腸線になっていますが・・・。
でも1967年1月の鉄道路線図を見ると、深川からは留萌本線の他に名寄へ延びる深名線があり、途中駅の石狩沼田ではこの2月に乗車した札沼線が接続していました。また留萌本線自体も留萌から先の増毛(ましけ)まで線路が延びていました。更に留萌からは宗谷本線の幌延を結ぶ羽幌線が繋がり、加えて私鉄では恵比島~昭和間に留萌鉄道、留萌~達布間に天塩炭鉱鉄道、羽幌線の築別~築別炭鉱に羽幌炭鉱鉄道が接続していました。
新幹線が開業した1964年10月の時刻表を見ると、準急「るもい1号」と「るもい2号」が旭川から、急行「はぼろ」が札幌から、準急「かむい4号」が小樽からそれぞれ乗り入れて来て、いかにも“本線”たる貫禄を呈していたようです。
ところが今は優等列車はひとつも無く、普通列車が下り8本、上り9本のみ・・・。
さて深川駅での接続は5分。11時10分発の留萌行きは、国鉄分割民営化の前年1986年に29両製造されたキハ54形。北海道仕様500番台の2両編成でした。昨今のローカル線には珍しく豪華2両編成(!?)かと思いきや、後ろの1両は回送扱いで閉め切られていました。前はキハ54512。
6~7名の同業者(?)とほぼ同数の地元高校生を乗せて定時に出発。乗務員は初老の運転士と若い見習い風の運転士、さらに後ろの回送車両にも乗務員が乗っていて3名体制。
深川駅を南に向けて発車し右カーブしながら西の日本海方向へ。周囲は広々とした田園地帯が広がっています。最初の駅は北一己(きたいちゃん)。イチャンはアイヌ語で鮭の産卵場所を意味するそうです。
次の秩父別(ちっぷべつ)では数人が下車。人口2400人余りの秩父別町の玄関口。
次の北秩父駅は通過扱い。下り列車は夕方の2本しか停車しません。乗車人員平均は1.0人だそうで・・・。
次は石狩沼田。沼田町の中心駅で数人が下車。かつては札沼線がここで接続していましたが、新十津川~石狩沼田間は昭和47年に廃止されてしまいました。
このあたりから線路には雪が多くなって来ました。線路に並行して立派な道路が。
次の真布駅は国鉄時代には仮乗降場で、民営化時に駅に昇格した駅。
ただでさえ少ない列車のうちの上下3本の列車が通過してしまいます。
そして恵比島駅。明治時代は「峠の宿」と呼ばれる交通の要衝だったそうです。
立派な木造駅舎・・・に見えますが、NHKの連続テレビ小説「すずらん」のロケセット「明日萌驛(あしもいえき)」をロケ終了後もそのまま継続使用しているもの。駅前には旅館のセットも見えました。
今では観光客の姿もなくひっそりとした佇まい。昭和44年まではここから留萌鉄道が出ていましたが、今では跡形もありません。
さてここからは石狩・天塩両国境を越える峠道に差し掛かります。
留萌本線のトンネルはこの区間の2つのみ。
「この2つのトンネル間に鹿が多いんだよ」と初老の運転士が若い運転士に話していました。
駅間は7.6km。サミットを越えればあとは軽快に下り降りるだけ。
峠下駅は留萌本線の途中駅で唯一列車交換が可能な駅。
有人駅時代からの立派な駅舎がそのまま残っていました。
下は帰りに上りホーム側から見た駅舎。でも近年の乗車人員平均は0.8人だそうです。
峠下駅を出るとかつては東幌糠駅がありましたが2006年3月に廃止され、次の駅は幌糠駅。ヨ3500形車掌車を改造した駅舎でした。
幌糠駅の次はかつては桜庭駅がありましたが、こちらも1990年10月に廃止されています。
次の藤山駅はアイヌ語とは関係なく農場主であった藤山さんの名前が由来。
そして大和田駅もかつての大和田炭鉱の所有者大和田さんの名前から。ここも車掌車改造の駅舎でした。
大和田を出ると次は終着の留萌です。
ところでキハ54512のシートは、キハ183系特急型気動車に使用されていた簡易リクライニングシートを流用して、集団見合い方式に配置。普通列車にしては豪勢なシートです。
真ん中の対面部分にはテーブルが配置されています。
窓下には灰皿の撤去跡。扇風機カバーには国鉄のJNRマークが残っていました。
12時07分に終着留萌に到着。降り立ったのは同業者と思われる6人。地元の方は殆どいらっしゃらないようでした。
広いホームはかつての賑わいを思い起こさせます。
2016年12月5日にこの先の増毛までの区間が廃止され、ここが終点となりました。
夏のシーズンには“鉄”以外の観光客も降り立つのでしょうか。
留萌の駅舎を外から眺めたら予想外に立派でビックリ。
1967年7月に天塩炭鉱鉄道が廃止されましたが、その直後11月から供用開始となった2代目駅舎だそうです。
キヨスクは2008年10月に閉店になったそうですが、待合室には立ち食いそば・うどん店がありました。本当はここで昼食を摂りたいところですが、折り返し時間はたったの11分しかありません。残念~。
下の写真は深川方面を眺めたところ。左側の広大な敷地もかつては引き込み線だったのでしょう。
深川側には跨線橋。かつては羽幌線用に4番ホーム、天塩炭鉱鉄道用に5番ホームまであったそうです。羽幌線は1987年3月に廃止。
さて到着した列車は2両を切り離し。
後ろに連結されていたキハ54527が今度は単行で上り列車の運用に就きます。
ワンマン運転用のミラーを使って記念撮影。
12時18分に発車。結局新たな乗客は現れず、そのまま折り返す“鉄”ばかりが、われわれ2人を含めて6人。
キハ54527は1986年(昭和61年)富士重工製で、元は急行「礼文」専用車として急行仕様に製造された3両のうちの1両。その後釧路と苗穂で改造されています。
シートは両端部はロングシートに改造されていましたが、中央部は当初から装備していた0系新幹線の廃車発生品である転換クロスシート。
来た道を戻り、峠を越えたらまた天気が良くなりました。深川近くまで戻って来たら線路上の雪も消えました。
深川駅には13時13分着。55分の行程でした。
ここからは6分の待ち合わせで13時19分発の特急「ライラック24号」に乗車。
所要66分で札幌着14時25分。
10分の乗り継ぎで14時35分発の快速「エアポート144号」に乗れば所要37分で15時12分に新千歳空港に到着。
17時00分のJAL518便で東京羽田へ。
羽田には18時40分着。羽田に降り立ったら随分と暖かく感じました。
目的地の留萌にはたった11分の滞在であとは乗りっ放しで何が楽しいのかって?。いやいや他の人に理解出来ないのが“大人の趣味の世界”なんです~(!?)。
文化の日の連休が明けて、11月5日火曜日からの週は患者さんが多くて連日混雑していました。かぜの方が多い上に、中に混じってぽつりぽつりとインフルエンザの方がいらっしゃるようになりました。定期通院の方も通常の診療に加えて前回の特定健診・がん検診の結果の説明をし、加えてインフルエンザワクチン接種も希望される方が多いので普段よりだいぶ時間が掛かってしまいます。さらにたくさんの書類書き、大和市医師会理事会、多くの面会をこなして・・・。そんな訳で今週もだいぶお疲れモードで週末を迎えました。
11月9日土曜日。晴れ時々曇り。朝は11℃、日中は15℃。クリニックはやはり午前中は混雑しましたが、午後からは落ち着きを取り戻しました。
診療終了後は直ちに羽田空港へ。お疲れモードでも出かけるとなれば俄然元気!?。16時30分発札幌行きJAL523便に十分間に合いました。友人と落ち合って機上へ。
機種はボーイング777-200。使用機材到着遅れのためにやや遅れて離陸するも到着はほぼ予定通り。札幌は4℃でした。
新千歳空港18時30分発のエアポートライナーで札幌駅へ。駅頭のホテルにチェックインして直ぐに夕食に向かいました。
今宵も北の海の幸を堪能~。
下は札幌駅北側の夜景。一直線に伸びる道路が北海道らしい!?。
今回は前回台風接近のため実現できなかった“乗り鉄”のリベンジのためにやって来ました。
明日も天気は良さそうです~。
11月4日月曜日。那覇地方は曇り時々雨。最低気温24.2℃、最高気温28.7℃。天気が優れず風も強い残念な天気になってしまいました。日頃の行いの悪さが露呈!?。
今日は早朝から沖縄南部に向けて車を走らせました。サトウキビ畑の中を通って、まずは県営平和記念公園へ。
ここへ来るのは中学生の時以来!?。当時は沖縄平和祈念堂、平和の丘、平和の火、そして立派な平和祈念資料館などの諸施設はまだ整備されていませんでした。
朝早いのでまだ人影疎ら。
公園の南端は太平洋に面した断崖。一帯は沖縄戦跡国定公園に指定されています。晴れていれば青い海が広がっているのでしょうが今日は鉛色。
流石にこの天気でチョウ影は少なめ。そんな中、リュウキュウコミスジや・・・。
関東でも普通種のチャバネセセリ。
そして昨日にも出会ったクロマダラソテツシジミなどが飛び回っていました。
風の当たらない斜面ではシロオビアゲハがたくさん飛んでいました。
シロオビアゲハは他のアゲハチョウ類に比べると小型。
日本ではトカラ列島以南に分布していて、沖縄では普通種です。
メスには遺伝的にオスと同じく後翅に白い帯がある「シロオビ型」と後翅に赤色の斑点がある「ベニモン型」の2タイプがあり、後者はまるで別種のよう。
一説には毒のあるベニモンアゲハに擬態しているのだとか。
そして昨日はオスにしか出会わなかったアオタテハモドキのメスにも遭遇。
因みに下は昨日撮ったオスの写真。どちらもそれなりに美しい~。
さらに傍らにメスアカムラサキのオスを発見!。
メスアカムラサキは迷蝶で土着種ではありません。ときおり飛来して各地で一時的に発生することがあるそうです。アカなのかムラサキなのか判らない名前が付いていますが、メスは全く違う柄で赤いのでこの名前が付いています。
さて、そろそろ時間切れ。空港へ向かう僅かな時間に那覇市内にある「対馬丸記念館」へ立ち寄って時間調整。
対馬丸事件は学童集団疎開の子どもたちを大勢乗せて昭和19年8月21日に那覇港を出港しましたが、翌22日の夜に米潜水艦の魚雷攻撃で沈没。乗船者1782名のうち約8割が亡くなった悲惨な事件です。
事件後は厳重な箝口令が敷かれて、事実がひた隠しにされていたそうで・・・。
立派な館内には他に見学者無し。勿体ない~。
どんより曇った那覇空港を離陸して・・・。
2時間20分ほどで暗くなった羽田空港に到着。気温は15℃前後でしたが、とっても寒く感じられました。
今回は天気には恵まれませんでしたが、十分沖縄のチョウを堪能して参りました~。
11月2日土曜日。晴れ。朝は11℃、日中は19℃。
11月に入って最初の土曜日。クリニックはそれなりに混雑。かぜ症状の方はやはり多め。健康診断で引っ掛かって二次検査でいらっしゃる方もちらほら。インフルエンザワクチンの接種も佳境に入って来ました。
診療終了後は羽田空港へ。17:05発JAL923便で沖縄那覇へ。機種は小型のボーイング737-800。夜8時頃に那覇空港に着陸。さすが南国、夜になっても26℃ありました。
そのまま那覇市内のホテルにチェックイン。
翌11月3日日曜日の那覇は晴れのち曇り一時雨。朝は24℃、日中は28℃。残念ながら天気は下り坂です。
ホテルのカーテンを開けるとビルが乱立する那覇市内は薄曇りでした。
朝一番でレンタカーを借りて、沖縄自動車道を終点の許田ICまで。そこから名護市内を抜けて本部半島の八重岳を目指します。八重岳453.4mは沖縄本島では与那覇岳に次ぐ第二位の標高で、1月末から2月初旬には日本で最も早く桜が見られるところ。
海岸沿いの道から標示に従って山道に入って行くと次第に周囲は鬱蒼とした森に。
意外にも山頂近くまで整備された舗装道路が続いていました。
頂上にはアメリカ軍が管理する八重岳通信所が。それで道が良いのかも!?。
山頂近くからはボンヤリですが彼方に東シナ海が望めました。
美ら海水族館はこちら方向のはずですが・・・!?。
さて、このたび遠路遥々ここまで来たのは沖縄のチョウの写真を撮るため。クルマを停めて外に出ると周辺の木々では聞き慣れないセミの大合唱が。
正体は容姿端麗なオオシマゼミでした。
オオシマゼミは日本産のツクツクボウシ属の最大のセミで奄美大島~沖縄本島周辺に分布する日本特産種だそうです。
クルマを降りて道路端の白い花を見たら・・・ビックリ!。茶色っぽいチョウの一群が鈴なりになっていました。数えきれないほどのツマムラサキマダラです。
下の写真、上がメス、下がオス。
メスは前翅の白斑、後翅の白線が目立ちます。
翅を開くと前翅には光沢のある青紫色が!。その名の通り、前翅のツマがムラサキ!!。
オスはメスほど前翅の白斑、後翅の白線が目立ちませんが・・・。
翅を開くと前翅の青紫色の面積がメスよりも広くてよりゴージャスな感じです。
たくさんのツマムラサキマダラを目の前にして俄かには信じられませんが、以前は稀に南からやって来るだけの“迷チョウ”だったそうで、沖縄本島に定着したのは1992年頃から。今では奄美~八重山で広く定着しているそうです。
周辺の梢を見ながら歩いていたら、テリトリーを張るコノハチョウの姿を発見!。県の天然記念物です。どこにいるかって?。
クローズアップすると・・・ここです!。
今回見かけたのはこの1頭のみ。しばらく粘りましたが残念ながら降りて来てくれませんでした。
林間をふわりふわりと優雅に飛んでいる大型のマダラチョウは本土でも見かけるアサギマダラ。何やら文字が書かれているのは数千キロの長距離を移動するアサギマダラの調査のためにマーキングされたもの。
う~ん、どこでマーキングされたものやら・・・。
山頂近くでは色鮮やかな“蛾”を発見。蛾は専門外ですが、調べてみるとサツマニシキという種類。
温暖地の蛾で本州紀伊半島より南に分布しているそうですが、南へ行くほど後翅の白色部が広く明るくなるそうです。
やや下って脇道に入ったところに立て看板が。
判読し難くなっていましたが「戦跡 国頭支隊本部壕 野戦病院跡」とありました。
ここ八重岳は本島北部で唯一日米両軍の対峙戦が行われた激戦地。こんな山の中の野戦病院に収容されても・・・。
そんな場所で呑気にチョウの写真なぞ撮っていられる平和な時代にひたすら感謝するばかりです。
近くにはミナミキチョウの低温期型。
こちらは珍しい種類かと思いきや本州以南に広範に見られるヤマトシジミのようです。
こちらも本州以南に見られるジャコウアゲハのオス。
時折地面から飛び立つ小型のタテハチョウは沖縄本島以南で土着しているアオタテハモドキ。オスは青が鮮やか。周辺を探しましたがメスの姿は無し。
イシガケチョウは島根、岡山、兵庫県南部など西日本以南に土着。
とっても不思議で芸術的な模様ですが・・・。
一説によると茶色い模様だけを見ると怖~いムシに見えてくるのだとか・・・。あやや、確かに~。
ヒメアカタテハは日本はおろか南極大陸を除く全ての大陸に分布する世界的なチョウ。
下はクロマダラソテツシジミ。かつては国内に生息しなかったそうですが、1992年に沖縄本島で確認され一時途絶えたものの2000年以降は南西諸島各地で見られるようになった種類。
地面を這うように飛んでいる地味なチョウはリュウキュウヒメジャノメ。奄美諸島以南にのみ分布。
最近では北へ分布を広げて関東でも見られるようになったナガサキアゲハ。
メスは南方へ行くほど白化傾向が強くなり、こんなに白いメスは沖縄まで来なければ見られません。
メスの後ろを飛んでいるのがオス。オスは白い部分が有りません。
この白いナガサキアゲハが見れただけでもここまで来た甲斐が有ったというもの。
そしてハイビスカスを訪れているのは日本産シロチョウの最大種、ツマベニチョウのオス。
普段は高所を敏速に飛ぶのでなかなか写真が撮れませんが、吸蜜で降りて来た一瞬がシャッターチャンス。
九州南端以南に分布する南方系のチョウです。
さてここらでもう夕刻。時折ぱらついていた雨が本格的になって来たので今日は撤収することに。那覇へ向かって車を走らせたのでした。
続きはまた後日に~。
10月31日木曜日。晴れ。朝は15℃、日中は21℃。
今日は休診日。夜は友人と会食のため新橋へ出かけました。本当はいつもの渋谷で待ち合わせる予定でしたが、友人が今夜は“ハロウィーン”であることに気付いてくれて、急遽新橋に変更。危なく渋谷に足を踏み入れるところでした。
久し振りに新橋駅に降り立つと、広場の先に見慣れたC11形蒸気機関車の姿が。
さすがに大都会新橋のシンボル的存在になった蒸気機関車は良く整備されていてピカピカでした。
国鉄の蒸気機関車の中では小型でローカル線での使用を念頭に造られた機関車。
1932年から1947年にかけて381両製造されたうちの1両です。
このC11形292号機は1945年(昭和20年)2月11日日本車輛名古屋工場製。
誕生したのが第二次世界大戦最末期の資材不足の時期のこととて資材と工数を切り詰めた戦時設計機で、除煙板(デフレクター)には木製だった名残が。
また砂箱と蒸気ドーム被いは工作の簡略化で角形(かまぼこ形)になっています。
ローカル線の近距離用なので、炭水車(テンダー)は繋がってなくて、水は両サイドのタンクに、石炭は運転室後方の石炭庫に入る分だけ。
でもコンパクトで使い勝手が良いからか、21世紀の現在でも大井川鉄道、真岡鉄道、東武鉄道、JR北海道で動態保存されています。さらに東武鉄道ではもう1両復元中!。
因みにこの292号機は製造から1972年の廃車まで一貫して姫路第一機関区に所属していて、東京にも新橋にも縁もゆかりも無し。国鉄蒸気機関車末期に五月雨式に保存された機関車にはそんなことがままありました。
さて今宵は友人と中華料理「六本木楼外楼」で食事しながら“鉄”の活動計画を練っておりました。
さすがに大人の街、新橋、日比谷あたりにはコスプレの若者は皆無でしたが・・・。
まあ一応、Happy Halloween!。
10月30日水曜日。晴れ。朝は10℃、日中は21℃。
本日、相模大野の駅で特急ロマンスカーVSE(50000形)の回送列車に遭遇しました。50001編成です。
車体にはWallabiesのロゴステッカーが装飾されています。
これは小田原市の城山陸上競技場で事前キャンプをしたラグビーオーストラリア代表(愛称:ワラビーズ)の応援を目的としたメジャーパートナーシップ契約によるもの。
すでに9月10日から運行されていて11月3日までの予定ですので間も無く見納めです。
一方、最近になって特急ロマンスカーGSE(70000形)にも新たなロゴステッカーが貼られています。
こちらは鉄道友の会が毎年1回その年の最優秀車両に贈る「ブルーリボン賞」受賞を記念したもの。
10月19日から貼付されていますが、こちらはまだしばらくの間見られそう。
さらに10月1日から8000形8255編成が「江ノ島線開業90周年記念トレイン」仕様となって、車体に江ノ島線に因んだラッピングが施されています。こちらは先日乗り合わたものの、まだ写真が撮れていません。12月1日までだそうです。
別に写真を撮ったからと言ってどうって事は有りませんが、後で見返すとその時代の事が思い出される訳で・・・。
10月29日火曜日。雨のち曇り。朝は14℃、日中は15℃。
クリニックは最高気温が20℃を下回る日が増えたせいか、ここのところかぜ症状の方は多め。インフルエンザの方はパタッといらっしゃらなくなりましたが、一時的な現象でしょうか??。
診療終了後は外苑前まで。平日の夜8時前の外苑前は意外に人影疎ら。
今宵は日本料理「僖成」へ。ほんの少し大通りから入っただけで周辺はとても静かでした。
大和市内の先生と会食でしたが、クリニックの運営上の悩みや日常の出来事など話題は尽きず。
気付けばいつの間にか他にお客さんはいなくなっていました・・・。
今日は夏の旅行のレポートの続きを。8月13日火曜日にリトアニアから陸路国境を越え、夜遅くにラトヴィアの首都リガに到着しました。ホテルで夕食を摂りそのまま就寝。翌8月14日水曜日はいつもの様に早朝街歩きに。
夏とはいえ朝は15℃を下回っていてヒンヤリ。
下の写真は朝日に照らされたリガ大聖堂。
日中は大勢の観光客で賑わうであろう大聖堂前の広場にも人影はありませんでした。
静寂の街をのんびり散策出来るのは何よりも贅沢なこと。早起きは三文の得です~。
さてホテルへ戻って朝食ののち、本格的に行動開始。
かつて旧市街を取り囲んでいた城壁を抜けると・・・。
外周に沿ってポールを振りかざしてトラムが結構な頻度で疾走していました。
車両は新旧さまざま。乗りこなせれば便利そうです。
その外側に広がる新市街には、アルベルタ通りを中心に20世紀初頭に盛んに建てられたアール・ヌーヴォー建築がたくさん残存。
各国からたくさんの観光客がやって来ていました。
今度は一気に旧市街の南側に回って中央市場へ。大きなドーム型の建物が5つ。
元々は飛行船の格納庫だった建物が移築されて使われているそうです。確かにさもありなんって感じ!。
どこへ行ってもその土地の市場を覗くのは楽しい~。
海産物が豊富なのは、リガ湾、バルト海を挟んでスウェーデンと対峙する地理関係を考えれば当然。
チーズや蜂蜜も豊富で美味しそうでしたが・・・。
さて再び旧市街へ。市庁舎広場は観光客で賑わっていました。広場の中心にはリガの守護聖人聖ローランド像。
後ろはブラックヘッドの会館。時計の下には4つのハンザ都市、リガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンの紋章とギリシャ神話の神々の像。実は1941年にドイツ軍の空襲で破壊され、1999年に再建されたばかりの建物です。
向かいの市庁舎も再建されたもの。
そこから少し北へ移動すると、今朝外観だけ眺めたリガ大聖堂。1211年に建設が始まり18世紀後半に現在の姿になったバルト三国最古の歴史をもつ教会。
中に入ると美しいステンドグラス。
そして背後には重厚なパイプオルガンが。
大聖堂の南側にはかつての修道院の回廊も良い雰囲気でした。
だいぶ長くなって来たので今回はこの辺で。続きはまた次回に~。