6月22日木曜日。曇りのち雨。朝は20℃、日中は22℃。終日気温は上がらず涼しい一日になりました。久しぶりの梅雨空!?。
今日は休診日。朝は近所の歯科でクリーニングをして頂き、その後は昼前からは所用で二子玉川まで出かけておりました。夕方はウォーキングがてら駅前の書店で買い物。休みの日はあっと言う間に時が過ぎてしまいます。
さて今日は6月18日日曜日の続きを。
前夜から京都入り。早朝に宿泊先周辺を散策して来ました。写真は宿の前の正面通。
路地裏でアオサギと戯れてから正面通を東へ数分歩くと鴨川に架かる正面橋。写真は橋から北を眺めたところ。
正面橋を渡ると川端通との交差点。普段は混雑する鴨川の東側に沿う川端通は、日曜日の早朝とあって信じられないくらいに閑散としていました。左側の瀟洒な建物は京都美術工芸大学京都東山キャンパス。
そこからチョッと北側に「元和キリシタン殉教の地」の石碑が・・・。京都でキリシタン??。
私、不勉強で存じませんでしたが、調べてみたらここは日本のキリシタン殉教史に残る、京都(1619年)、長崎(1622年)、江戸(1623年)の三大殉教地の1つだそうです。
1612年に徳川幕府はキリシタン大弾圧を開始。ここ京都では1619年に2代将軍秀忠の命により、2歳の幼児など11人を含む52名のキリシタンが9台の大八車に積み込まれて市中引き回しの上、現在の正面橋の辺り、六条河原で十字架に磔にされて火炙りにされたそうです。
おおっ、正にここです!。まだまだ知らない歴史がたくさん隠されていそうです。
そこから更に北へ向かうと、見えて来たのは牛若丸と弁慶がここで出会ったという逸話が残る五条大橋。実際は当時より南へ移設されているそうなので出会ったのはもう少し北の松原橋あたりだったそうです。
五条大橋直下の流れ。大都市なのに清らか。
五条大橋から北を眺めたところ。上流に見える松原橋あたりが元の五条大橋が架かっていたあたりだそうです。
川縁に建つ大きな建物は料理旅館「鶴清」。昭和初期に建てられた木造3階建て、総檜造り。夏の風物詩「納涼床」は5月から9月末まで。
さて朝食は7時からなので、そろそろ帰途に就かないといけません。たわわに実るビワを見たら何だかお腹が空きました!?。
来たのと対岸を南下。反対岸辺りが殉教地。
先ほど路地裏で休んでいたアオサギも朝食に出たのでしょうか?。
いやいや、まだやっぱり路地裏は路地裏でアオサギはおりました。
すみません、まだ京都、続きます。
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