8月31日木曜日。晴れ。朝は26℃、日中は33℃。いい加減に暑さの話題ももう飽きた・・・って感じですね~。
昨夜は大和市休日夜間急患診療所の当番でした。やはり発熱の方が多め。新型コロナウイルス感染症のセルフチェックで陽性になって受診する方や当センターでの迅速診断キットで陽性が判明した方など、新型コロナウイルス感染症がまだまだ席捲した状況が続いています。その他、感冒、喘息、尿管結石の方などなど。
さて今日8月31日木曜日は休診日でしたが、自宅の工事(何と漏水です~)のために終日在宅しておりました。家も古くなると人間と同じように・・・!?。
そんな訳で今日はチョッと古くなってしまいましたが6月25日日曜日の浜松行きの続きを。
遠州鉄道に乗って終点の西鹿島まで。ここで接続する天竜浜名湖鉄道に乗って掛川へ出て、そこから新幹線で帰るのも良いかと考えていましたが、遠州鉄道に乗っていて途中で気になるものを発見したので急遽来た道を引き返すことに。
上り電車は2007号編成は2017年導入の新しい車両。
運転台はワンハンドルマスコン方式。
単線で2両編成とは言え、沿線は宅地が多くて乗車率もまずまずですが、「遠鉄グループ」の連結売上高に占める鉄道運輸収入は1%に満たない状況だそうです。
さて新浜松と西鹿島の中間付近にある遠州西ヶ崎駅まで戻って来ました。来るときに構内北側に留置されていた古い電気機関車を見つけて、これを見に戻って来たのでした。
ナンバープレートには「ED28 2」の文字。
武骨な構造は相当古そうですが、錆が浮き出ることもなく、よく手入れされています。
ホーム南側の改札口を出て、機関車を反対側から眺めてみることに。
小型機とは言っても近くから見ればそれなりの大きさです。
調べてみると、出自は1925年11月に豊川鉄道 電機50形50、及び鳳来寺鉄道 電機51形51として英国のイングリッシュ・エレクトリック社より輸入新造された2両のうちの、豊川鉄道 電機50形50 のようです。
素性は由緒正しき英国紳士でした。
1943年8月に戦時買収により豊川鉄道及び鳳来寺鉄道が鉄道省に編入されたため、鉄道省の機関車に。さらに戦後は国鉄の機関車となりました。1952年には形式をED28形に変更。番号は元鳳来寺が ED28 1 、元豊川が ED28 2となりました。
その後、1956年にED28 1 が国鉄で廃車となり近江鉄道へ譲渡。1959年にはED28 2 がやはり廃車となり遠州鉄道へ譲渡され、国鉄での形式消滅となりました。
譲渡後は1960年2月5日からED28 2 が遠州鉄道で運用開始。形式・番号とも国鉄時代のまま引き継がれました。以後、遠州鉄道に来てから丸63年。1925年の生誕からは今年で98年。稼働状態で現存している日本国内の鉄道車両としては唯一の英国製電気機関車です!!。
ナンバープレートの上部には遠州鉄道の社紋が掲げられていましたが、さすがにイングリッシュ・エレクトリックの製造銘板は残っていないようでした。
検査標記を見ると今年の年末まで検査期限が残っているようです。「休車」の札が掲げられているのは休車扱いにして検査期限の延長をはかっているのかもしれません。
線路に面して遠鉄の社宅があり、たまたま通りかかった住人の方に許可を得て階段の踊り場から撮影させて頂きました。
そんな訳で、斜め上からのカットも撮れました。
パンタグラフは比較的新しい電車用のPS16でしょうか?。
後方には砂利運搬用(?)のホッパ車、ホキ800が3両留置されていました。2000年にJR東海から購入した車両だそうです。これらの貨車を牽くのはED28 2以外に機関車はありませんから、今でも夜間の工事列車には現役で使われているのでしょう。
気になるのは2023年12月と記されていた検査期限。休車期間分が多少延長になったとしても、次の検査を受けさせてもらえるかどうか・・・。何とか100歳を元気で迎えて欲しいものです。
次の新浜松行きで新浜松へ戻りました。1007号編成。
新浜松にはちょうどお昼時に帰って来ました。
浜松と言えば・・・やはりウナギでしょう!?。浜名湖養魚漁協直営店はリーズナブルな価格でとっても美味。繁盛店でした。
帰宅後に「モノクロームで綴る昭和の鉄道風景」(諸河久著)を眺めていたら・・・。
1974年に山形交通で撮影された兄弟機の写真がありました。兄弟だけにそっくり。
こちらは1974年に廃車後上山市のリナワールドという遊園地に保存されましたが、2012年11月には撤去されてしまったそうです。
鉄道車両の一生もそれぞれ物語があるのは人間と一緒です~。