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小説「塩狩峠」

10月7日土曜日。晴れのち曇り。朝は15℃、日中は24℃。今日も涼しい朝になりました。世の中は3連休でしょうが、当院は今日も通常通りの診療です。朝の電車はハイカーと運動部の学生さんがたくさん。

今日のクリニックはほどほどの混雑。土曜日は現役世代の方が多いのですが、春から夏にかけて受けた勤務先の健診で引っ掛かって受診される方が多くなって来ました。かぜ症状の方は少な目でした。

昨日6日発表の9月25日~10月1日の新型コロナウイルスの感染状況は、1医療機関あたり全国で8.83(前週11.01)、東京都で7.08(同8.89)、神奈川県8.30(同9.85)で4週連続の減少となりました。一方インフルエンザは、全国で9.57(前週7.09)、東京都で16.58(同12.19)、神奈川県15.05(同8.85)で6週連続で増加。都道府県別にみると沖縄が最も多く、千葉、大分、山口、東京の順でした。

いずれにせよ感染対策はしっかりとなさって下さいませ~。

さて今日も夏の北海道行きのレポート最終回。

最終日の8月16日水曜日に宗谷本線の塩狩駅まで足を伸ばしました。駅の裏手の丘の上には三浦綾子の「塩狩峠記念館」があります。

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駅から丘への階段を上がると・・・おやおやここにもヒグマ対策のポスターが!。

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「塩狩峠記念館」の建物は三浦の旧宅を復元したもの。元は1961年に旭川市内に建てられた店舗兼用の住宅だったそうで、三浦は1971年まで実際にこの建物で暮らしていたそうです。

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その間1964年に「氷点」を発表して小説家としてデビュー。1993年に老朽化により解体されましたが、周囲からの保存を望む声に三浦が同意し、資材は保管されていたそうです。「塩狩峠」の舞台となった和寒町が100年記念事業の一環として塩狩峠での復元を決め、1999年にこの地に開館したそうです。

建物内部の表側は商店スペースが復元されていて昔の商品まで再現されていました。裏手と2階が居住スペースで日々の暮らし振りが想起される様な展示品の数々。

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ところで小説「塩狩峠」は、1909年(明治42年)2月28日に発生した鉄道事故で殉職した実在の人物・長野政雄を元に、愛と信仰を貫き多数の乗客の命を救うため自らを犠牲にした若き鉄道職員の生涯を描いた作品です。

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この地の鉄道は1899年(明治32年)に宗谷本線の前身である北海道官設鉄道天塩線(蘭留 - 和寒間)として開通。当時から標高272mの塩狩峠は交通の難所となっていましたが、開通から10年ほど過ぎた1909年(明治42年)2月28日夜、上り列車最後尾の1両の連結器が外れて列車から分離、逆走を始めました。手歯車のブレーキも効かず、たまたま乗り合わせた長野政雄が車輪の下に自らの身を投じることにより暴走を食い止めて脱線転覆を防いだのでした。

塩狩駅近くには長野政雄の顕彰碑が建立されていました。

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さてこの旅もいよいよタイムリミット。旭川空港から16時25分JAL556便に搭乗。離陸すると眼下に上川盆地が広がりました。

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程なく大雪山系の上空へ。

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チョットうとうとするうちに早くも関東上空。

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羽田には定刻18時10分より15分程遅れて着陸。

夕刻とはいえ、久しぶりの酷暑が待ち受けていました・・・。(完)。

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