3月5日水曜日。曇り一時雨。朝は3℃、日中は10℃。昨日の雪は霙から雨に変わり、朝には路面に雪は残っていませんでした。小田急線も平常通りの運転。やれやれ。
今日のクリニックはそこそこの混雑でしたが、普段混雑する水曜日にしては平和。やはりこの天気を敬遠した方も多かったようです。発熱外来では感染性胃腸炎が優位に立ち、コロナとインフルエンザは鳴りを潜めました。このまま収束でしょうか。
先日ある患者さんから1冊の古い写真冊子を頂きました。「月刊世界鉄道写真全集」の1973年6月号です。中央西線のD51の特集で、当時中央西線は同年7月の電化開業が間近に迫っていました。
この「月刊世界鉄道写真全集」の創刊は1971年2月号で、当時は蒸気機関車末期のいわゆる「SLブーム」真っ只中でしたので、そのブームにあやかるべく雨後の筍の如く多くの書籍、雑誌が発行されていました。小生、この写真冊子も書店でリアルタイムに眺めていましたが、当時の私には高価過ぎて(!)買えませんでした。裏表紙の定価を見たらなんと230円。
私自身は中央西線に昭和46年9月と昭和47年8月に遠征しています。両回とも新宿から土曜日の夜行急行「アルプス」に乗って翌日の夜に名古屋経由で帰って来るという夜行日帰りの強行軍でした。ただどちらも日頃の行いの悪さが出て酷い雨降りに見舞われて散々な結果でした。
昭和47年8月の時は屋外での撮影が雨で無理そうでしたので機関区のある木曽福島へ行きました。
(以下の写真は再掲です)
当時は事務所の名簿に記名して了解を得れば構内で自由に撮影が出来ました。当時の国鉄は今では考えられない大らかさでした。
庫内で撮影して外へ出たら駅構内にD51重連の貨物列車が止まっているではありませんか!。
近付く間もなく汽笛2声、爆煙を残して発車して行ってしまいました。
でもその後も次々とD51牽引の貨物列車がやって来るという夢のようなシチュエーション。どうやら木曽福島では到着した下り貨物列車の機関車は一旦貨物から切り離されて単機で構内を塩尻側へ移動し・・・。
後進運転で機関区構内へ入線して給水、給炭を行うようでした。
そこで機関区の塩尻側にあった雨宿りの出来る小さな信号小屋で機関区構内に出入りするD51を撮影。
発車シーンもそこから雨に濡れずに・・・。
合間で構内入れ替え中のC12の姿も捉えることが出来ました。
当時は忌み嫌われたトラ模様の警戒色に塗られたC12でしたが、今となっては貴重な姿。
帰りはキハ181系の特急「しなの」で名古屋へ出て新幹線で帰宅。
頂いた1冊の写真冊子でノスタルジーに浸ることが出来ました。感謝です。